マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました。セカンドライフ、移住します。

ノドが変な時はお風呂

今週のお題「お風呂での過ごし方」

 初めて、「はてなブログ」に参加している意義のある記事になりそうですが、「今週のお題」というものにトライしてみようと思います。

 今まで「お題」の使い方がよくわからなくて(汗)、目に留まっても「何だろう・・・」と思うだけでスルーしていました。でも、今週はお題になっているのが「お風呂で温まっていますか?」「お風呂での過ごし方」なので、私の病気ブログにも当てはまりそうです。

 お風呂、いやもう、温まってますよ~もちろんです。病気のデパートが曲がりなりにもここまで生きてこられた陰には、お風呂の力ってすごくあるんじゃないかなと思ってます。ちょっとオーバー?

 でも、ヒートプロテインなんて言葉も聞いたことがあるような・・・アイロンで布地がまっすぐになるように、日本人の長生きの秘訣はお風呂に入るたびに細胞レベルでの修復ができているから、なんて話だったような。

 それってあるんじゃないの?と私も思っています。

喘息患者のお供、湯船で気管支が開く感じ

 先日、久しぶりに大きめな喘息発作に見舞われてしまいましたが、私の場合、湯船に浸かっている最中は咳も段々と落ち着きますし、調子が改善する気がしています。

 だから、吸入や服薬で発作がいったんは治まったけれども何だかまだ眠れない・・・といった時に、私は背中にホカロンを貼ることも多いですが、わざわざお風呂に入って全身を一気に温めてしまうこともよくあるんですね。

 お風呂の湯気もやさしいし、温まっていると呼吸がしやすくなっていくように感じます。気管支が開くんでしょうね。気管支粘膜の表面が潤って、いらないホコリ等の喘息のきっかけになったヤツらの排出も進むでしょうし、粘膜の修復にもいいはず!

 ・・・そんなイメージを働かせるだけでも、もうお風呂に入りたくなってきました。

 だから、ノドが変だなと思ったら、できるだけお風呂場に長く居るように努めて、できればのんびり半身浴しています。

 みなさんも、お風呂の中では大声でつい歌っちゃうなんてことがあると思います。定番ですよね。私も、いつもは半身浴で汗ダラダラになりながら、YouTubeを伴奏にしながらコーラスの曲を練習したり、お気に入りの猫動画や園芸動画を見ています。

飲み物は必須ですが、アイスも最高です

 もちろん長湯には水分補給も忘れないようにしています。飲まないで汗ダラダラでは脱水してしまって危ないですからペットボトル持参で、少し前までの夏場は2Lのアルカリイオン水を持ってお風呂場に向かっていました。

 風呂場に籠城するときに冷たい飲み物は格別ですよね。定番はお水とかスポーツドリンクだと思いますけれど、ノンカフェインの冷やした麦茶やゴボウ茶もなかなか爽やかでお気に入りです。

 冷たいアイスを食べながら入ることもありますが、至福の時と言ってもいい感じで・・・これまではカップアイスだったので、手がふさがってちょっと面倒くさくも思えますので、次はクーリッシュにしようと思います。

最近のヒット入浴剤はユーカリ&にがり

 そうでした、今年の夏は、ベランダのユーカリを使ってユーカリチンキを作りました。それを今も入浴剤としてお風呂に入れています。

 最初にローズマリーユーカリと、両方をウォッカで浸して抽出液を作ってみたのでしたが、家族には断然ユーカリの評判が良かったので、今度は4Lの焼酎ボトルでユーカリの抽出液をドーンと作り、それを使っています。

 ローズマリーは、ただカットして生のまま湯船に投入する方が良かったかもしれませんね・・・とりあえず今はユーカリが大ヒット中なので。いやー、爽やかですよ。いい香りです。

 このユーカリ、立ち上ってくる香りが私の喉にもとてもいい感じがしています。

 さらにそこに、以前から重曹を入れてお風呂には入っていたのですけれど(痒みが治まってスベスベしますし、後のお掃除にもいいので)、「にがりフレーク」を入れるのも始めてみました。

 「にがり」の主成分の塩化マグネシウムはお風呂に入れることで皮膚から吸収することができると聞きまして、ぎっくり腰にも良いそうなので、腰痛持ちとしては見逃せないと思いました。

 すっかり引きこもり生活で、座っている時間ばかりですしね・・・このブログも、もちろん座って書いています。腰がなんとなく重くなってくると、ぎっくり腰がやってくるのではないかと気になります。

 今のところ、腰に良いのかどうなのかは全然確証は持てないというか分からない(!)のですけれど、肌触りについては、重曹だけの場合に比べ、さらに良いような気がしますね。

 頭皮のマッサージもしてみたら、気持ち良かったです。

 温まるし保湿効果もあるそうなので、重曹ユーカリと合わせて「にがり」の方も期待して使っていくつもりです。

 お風呂でのYouTubeも楽しくて・・・ますます長湯になりそうです♨

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初骨折だそうです→違いますよ

 土曜日、家族が車椅子バスケットボールのボランティアに元気に出かけて行ったと思ったら、左手小指を骨折して帰ってきました。

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小指です

 あんなに張り切って行ったのに、あからさまにしょぼくれて。それはもう、あーあ、ですよね。

 駅に迎えに来てと言うので慌てて行ったら、想像通りの包帯姿です。荷物を持ってあげようとしたら、ウエストバッグ程度しかなかったのでちょっと拍子抜けしましたが、その小さなバッグさえ、持っていると響いて痛かったらしいです。

 まあ、そうですよね。痛いですよね。骨が折れたんですから。

 実は、家族は「ヘパーデン結節」といっていくつかの指の第一関節が腫れて痛いと言い、整形外科にリハビリで既に通っているんですよね。それなのにどうして車椅子バスケを自らやってしまったのか・・・ボランティアとして、サポートするだけかと思っていましたが、体験会だったんですって。

 リスクを冒した結果、本人は「突き指」しただけかと思っていたそうです。ヘパーデン結節で痛む個所を、さらに突き指してしまってたらどうするつもりだったんでしょうね。でも、違う指だったみたいです。

 なんだか余りにも無防備と言うか、正直ちょっと呆れてしまうのですけれども、起きてしまったことは仕方ないです。これまで、散々体調を悪化させて心配をかけてきたので(腹部の手術の時には、寿命が10年は縮んだとよく言われます)、文句も言えません。お互い様ですね。

 家族は、最初は「あれ?」と思う程度に痛みを感じて、ボランティアを終えて仕事場に行った時点で徐々に腫れてきたので、土曜日も診てくださる整形外科を探して帰りに受診したとのこと。

 そこで骨折がわかり、固定してもらったのは良いのですが、痛み止めはもらわなかったんですね。駅で会うと、家に帰って早く飲みなれた鎮痛剤を飲みたいと言っていました。

 あー、それなら持参すればよかったです。「持っていった方が良いものはある?」と聞いたのに、「ない」と言うので・・・。

 本人は「考えてみたら、人生で初の骨折だ」と言うのだけれど、いやいや、確か中学か高校時代にゴールポストに激突して前歯2本を折っているはずだけれど・・・その時、顎の骨は無事だったということなんでしょうか。でも、そもそも歯を根元から2本も折っているのに、骨折の範疇には入らないんでしょうか?

 そうでした、骨折してましたよ! 交通事故に遭ったことがあるんですよ。その時に、左足を骨折したのをすっかり忘れてますよ。

 あの時、細い道を歩いていて、後ろから来た車に左足を轢かれたのでしたが、その瞬間、家族は「あれ?ガムでも踏んだのかな」と動かなくなった足を訝しんで振り返ったら、左足が車に挟まれていたそうです。

 車はスピードが出ていなかったんですが、運転手は90歳のどこかの社長。「もう90だから許して」と言い出し、家族にバレたらもう運転できなくなる、警察に通報しないでと泣き落としにかかったそうです。

 弁償するからと約束するのでちょっとほだされそうになったら、かえって当たり屋だと思われたのか、会社の人たちが強気に出てきたので頭に来て家族は警察に通報。「同情してそんな話に乗らず、さっさと通報してくださいね」と警察に叱られたのでした。

 痛みに鈍感で治るスピードも私に比べて驚くほど速い家族は、確かサッサと治ったはず。それで忘れちゃってるんでしょうか。

 そういえば、ひどい交通事故に遭った経験のある方にお聞きましたが、首から上の頭部の骨折はあんまり痛くなかったとか。それなのに、ケガ部分の形成手術に使うために腰の骨を一部切りとったら、そこが痛くて痛くてびっくりしたんだとか。

 人間の体は不思議ですよね。頭部のケガには鈍感にできているのでしょうか。

 でも、今年に入ってから私も左足の小指をどうやら骨折していたらしいのですが、あまりそこまで痛みを感じずに済んだような。足なのに?

 足の小指は、1.5Lのペットボトルを落としてしまって、しばらくは少し腫れ、向きによっては結構痛かったです。カイロプラクティックの先生に「これは折れているようだから、整形外科に行ったほうが良い」と指摘されていたのでしたが、1週間程度は腫れていたもののテーピングで固定していたら支障があまり無かったので、そのままにしちゃったのですよね。

 他の「持病転がし」に忙しくて、さらに別の医者に行くのも気が進まなかったと言うか・・・いつも整形外科は「湿布も貼れないし、鎮痛剤も飲めないのでは、やることが無い」状態で帰されるので、時間をかけて出向く意義が薄いと言うか・・・。

 行きたくないと思うと、理由はすぐに見つかりますね💦

 それでも、コロナが無ければちゃんと受診したとは思うのですが、痛みがさほどでもないから「まあいいか」と。でも、今回、家族はあれだけ痛がっているのに、私があまりにも鈍感にも思えます。

 小学4年生の春休み初日に両足の甲の部分を骨折した時は、もう痛くて痛くてべそをかきながら夜も眠れなかったのでしたが・・・確か、1週間近く、痛みで夜中にうなっていました。

 昼間は気も紛れることもあるのに、夜に横になると、痛みに気持ちが集中してしまうのでしょうか。痛さが5割増しになる気がしました。

 もう、あの頃は鎮痛剤があまり飲めない体質だったのか、痛み止めは飲ませてもらってなかったか、そうでなければ効いていなかったのかもしれません。両足はギプスでしたが、湿布はどうだったか・・・そこら辺はおぼえていないですね。

 痛い上に、姉の卒業式には両手で松葉杖をついて参加する羽目になったので、変に目立ってしまってとっても恥ずかしかったことは思い出します。

 しかし、今年の足の小指のケガと非常に近い箇所にもかかわらず、子ども時代の骨折は痛くてたまらず、大人になっての骨折はさほどには痛みを感じない。こんなことがあるんでしょうか?

 骨折の範囲とか、ひどさが違ったことは確かなのですが。何かちょっとモヤモヤしますね。

 とりあえず、家族は鎮痛剤が効いている間は痛みを感じずに済んでいるようで、昨夜もよく眠れたそうですし、今夜ももう眠っています。寝る前に「鎮痛剤は偉大だ」、飲めない私のことを「かわいそう」と言っていました。

 コロナのワクチンも打てないし、痛み止めもろくに飲めないし、使える抗生剤などの薬物も限られてしまうし・・・プリミティブな単純な作りの薬なら、チャレンジしやすいみたいなことを主治医が言っていたような・・・。

 私は現代医学に置いて行かれているような。ずいぶんと昔の時代を生きているような状態にあるってことなんでしょうかね。うっかりケガもできません。

イレウス気味でした💦

 このブログのスタートでも書いたのでしたが、しっかり眠るって大切なことですよね。睡眠不足になると、やっぱりアチコチ不調が出るような気がします。それがわかっているけれど、文章を書くには夜中が私は集中できて書きやすいので、寝るか、書くかで迷います。

 ちょっと記事が前後してしまうのですが、先月の前半は寝不足がたたり、不調でした。

 締め切りの迫っていた仕事が2本あり、1本目を集中して書き終えたところでハッと気づいたら、夜中にお腹がかちんこちんに固まっていました。ああ、まずい、やっちゃったかな・・・後悔先に立たず、腸閉塞(イレウス)気味になってしまっていました。

 もう20年ぐらい前、お腹の手術を2度やったあと、ご多分に漏れず私も癒着性のイレウスになり、苦しみました。それ以来、隠れた持病です。うっかり気を緩めると、ひどい目に遭います。

 初めて腹腔鏡手術を受けた時は、骨盤腹膜炎との診断で、手術してみたら腹腔にあった内臓は全てひとまとめにすっかりくっついていたそうです。

 一つ一つ切り離すのに時間がかかり、手術時間が予定よりも倍近くオーバーして麻酔が最後の方は切れ(!!!)、尋常でない痛み・苦しみを味わうことになった経験は、忘れることができません。

 アレルギーの関係で、普通の麻酔が使えなかったんですよね。うんと少なく使ったとか、医療用のモルヒネを使ったとか、そんな話だったと思います。だから、手術が延びたことで、麻酔が足りなくなっちゃったんですね。

 それに、普通なら使える腰椎麻酔も入れてもらえなかったのでした。

 手術の最後の方は、激烈な痛みで目が覚めるけどすぐ痛みで気を失って、というのを数回繰り返した覚えがあります。まるでマンガみたい。足をバタバタと大暴れして、暴れる私を抑えようと苦労していた看護師さんを、私は蹴りまくっていたそうです。

 嘔吐もひどく、土気色の顔色をしている私が術後に運ばれていくのを見た姉は、包んでいたお見舞いの額を思わず1万円から5万円に増やしたと言っていましたw 

 私が蹴り飛ばした看護師さんにも、母がこそっとお詫びの品を後でお渡ししたらしいです。

 そんな状態でよくまた2度目の手術ができたと思いますが、その時は開腹手術で、炎症部分をきれいに取り除くとともに、また癒着に取り込まれていた尿管やら内臓を丁寧に切り離していただいたと聞きました。

 腹腔内全般に炎症が広がっていたわけですが、原因は何だったのか・・・はっきりしなくて、日和見感染とか言われたのでした。

 もちろん、前回の手術で指摘されていた子宮内膜症と子宮腺筋症もひどかったんですが、盲腸からの炎症ではないかと盲腸を切除して、腹腔壁の蜂窩織炎でもあるとかも、言われたのでした。

 卵巣も、機能性の嚢腫で、大きくなったり縮んだりを繰り返して。大きくなっている時期は周囲に響いて痛くて堪らないのですが、「まわりに癒着しているから卵巣が腫れても茎捻転にはならないのが良いところ」なんてお医者さんは言ってましたね。

 この時に、そんな状態なら私としては子宮も卵巣も取り除いてほしかったのですが、まだ30代だからとそうしてもらえなかったのが本当に心残りでした。

 そこで取ってくれていたら、その後も子宮筋腫が4つもできましたし、手術後にずるずる苦しむこともなく回復も早かったのではないか、QOLはここまで悪くなかったのではないかと思うんですけれどもね。

 手術したのに、と言うか、手術したからと言うべきか・・・その後、癒着性のイレウスになり、入院することになったのでした。

 何かお腹が変、という予感はあり、歩けば回避できるかと、勤務先から延々自宅に向かって歩いたこともありました。ムダに疲れただけだったみたいでしたが。

 入院することになって、「3度目の手術は絶対に嫌だ」と言ったので保存療法に。たまった胃液などを出すための鼻から喉を伝って胃に至るチューブが、喘息で過敏な喉を刺激して咳が出てしまうことになり、これはこれでまた苦しくてたまらなかったのでした。

 それ以来、イレウスになりたくないので意識的に体を動かすようにしてきたつもりです。でも、集中して作業をしていると、動くのを忘れてしまうんですよね。気を付けなきゃいけないのに。 

 今も私の内臓はしっかり癒着している部分があり、その癒着が馬の手綱のように機能してしまうため、動いている腸が「ヒヒーン」と手綱で引っ張られてピタッと止まってしまうらしいです。

 あの日は、それまで使っていた机と椅子ではなく、窓際の座椅子に座ってパソコンに向かい、ほぼ1日中座り込んだままでした。思考の波がうまく回転していたので一気に書き上げてしまいたかっただけなんですが、お腹には良くなかったです。

 前にもらっていた薬(ガスモチンプリンペランガスター)があったので、それでやり過ごしつつ、2本目の仕事は立ったまま、足を動かしながらパソコンを打てるようにして、仕上げたのでした。

 歩いたり動いたりは大事ですね! あ、まず大敵なのは睡眠不足でした。

喘息患者は人から見えない?

気づいたときには遅かった

 昨日はブログを書こうと思ったのに、久しぶりに喘息の発作に見舞われて叶いませんでした。

 ホントに最近はめまいからも解放されて元気いっぱい、喘息なんて普段は忘れているんですけれどもね・・・いったん咳が出始めたら止まらずゼーゼーが始まり、「喘息持ちだったんだ」と思い知らされます。

 今はもう咳は止まりましたし、今日も、幸いにも明け方にちょっと出た程度でしたが、喉にはまだ少し違和感がありますね。

 発作が起きたのは、昨日の午前中。パソコンに向かって作業をしていて段々と咳が出て、同時に気づいたのが窓の外からのブーンという何かの機械音。結構な爆音でした。

 たぶん、マンション中庭の植栽の剪定をしているのでしょうか・・・発電機の音なのか、それとも、刈り込む機械(何て言うんでしょう?カッター?)のモーター音なのか、とにかくその音に伴って一酸化炭素的なニオイが立ち込めてきました。

 慌てて窓を閉めたのですが、時すでに遅し。咳はもう止まりません。

 ゼーゼーしながら吸入したり、うがいしたり、薬を飲んだり、ココナッツオイルを口に含んだり、蜂蜜を舐めたりと、アレコレやって、何とか治まっていった感じです。

 昼にはまあまあなところにまで回復して一息つけましたが、夜になっても声はガラガラ、出しにくい感じが残りました。

 コロナのせいで、咳が苦しいものだということは最近はみなさん広くご存じです。パルスオキシメーターも市民権を得ているぐらいですから、咳が止まらない苦しさは、想像していただけると思います。

 しかし、あの中庭で作業をしていた職人さん。建物の中で、こんなに七転八倒している喘息患者がいるなんて、知りもしないんだろうなあ。せっせとお仕事をしていただけですもんね。

 咳き込むと言えば、最近は、華やかな化学的香りを撒き散らす柔軟剤も強敵です。蒸し暑い日にうっかりバスに乗って、いきなり呼吸ができなくなって、ひどい目に遭ったことがあります。

喘息が軽く見られている理由は?

 あとは何と言ってもタバコの煙がトリガーになりますね。特に困るのは歩きタバコ。何の症状もなかったのに吸い込んでしまった途端、キュッと気管支が狭まって息が苦しくなり咳込み始めるので、私の場合、顔を歪ませ口をパクパクさせながらとにかく遠ざかるしかありません。

 ひとりで苦しがり、その人の吐く煙の及ばないところにまで一目散に逃げて行ってしまうのですから、火をつけたタバコを持って延々と歩き続けているご当人はまったく知りもしないでしょう。

 ご自身の副流煙がどんな害を及ぼしているのか、その結果を目の当たりにしないで済むわけです。文句を言いたくても、喘息患者はその場にいることができないし、話しかけることも息苦しくてできないのですから。

 だから「そんなに被害を受けている人なんかいないでしょ」と信じ込んでいられるのだろうと思いますね。幸せなことです。

 でも、逃げるにしても煙の拡散って早いんですよ。呼吸が苦しい状態で走って逃げるなんてちょっと無理な芸当です。大変です。息を止めたまま、走ってみてもらえたらわかると思います。

 それで、その時はまあまあやり過ごせたとしても、翌日の明け方に咳き込むんですね。大体が朝の5時頃です。咳で起こされて、寝ていられません。

 こんなことは、当然、歩きタバコのスモーカーは知りもしないでしょう。

 いつだったか、「タバコの副流煙の害は過小評価されている」と口にしたところ、タバコ農家の経済的苦しさを持ち出されて口を塞がれそうになったことがあったのですが、唖然としました。

 タバコ農家さんは、別の作物を作るチョイスができると思うんです。職業替えだって、ギリギリどうしてもとなった場合、できないことはないでしょう。

 でも、こちらは息ができないんです。「呼吸をするかしないかを選べ」って人に言えますか? 「呼吸しない選択肢=死」なのに、「タバコ農家だって大変だ」と言う人たちは意味がわかってないとしか思えません。

 ほとほと思うに、喘息って軽く見られています。ただちょっと咳き込むだけだと思われているのではないか、と思います。それは、被害結果が見えていないからですよね?

 だから「オーバーだ」とこちらを責めたり、タバコ農家さんの擁護に走る人が次から次へと出てくるんだろうと思います。

 喘息患者の気管支は、慢性的に炎症を起こしている状態だと聞きました。

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bing.com より

 毎年発作で死んでいる人だっているのに、その事実があまりにも知られていないように感じます。私が発症した1998年頃には、毎年6000人前後が亡くなっていたと記憶しています。

 吸入ステロイド薬が普及して、その数も今は急減したようにも聞きますが、それでも個々人を見れば、まだ30代の家族が、スーパー駐車場に停めた車中で発作止めを握りしめたまま喘息の発作で亡くなっていたのが見つかったと、前の職場の同僚が泣いていましたし、私の主治医も「来ないなと思ったら急な発作で亡くなっている患者さんが多い。調子が良くても、ちゃんと来てね。勝手に薬の吸入を止めないでね」と言います。

 あのテレサ・テンだって、喘息の重積発作でお亡くなりになっているのに。

喘息で死ぬことがあります

喘息は死ぬことがある病気です。しかも、昨日まで全く元気だった若い人でも喘息の場合は死ぬことがあるのです。喘息死は窒息死です。人間にとって窒息はとても苦しい状態です。とても苦しい思いをして死んでしまうことがある喘息は恐ろしいのです。

しかも、喘息で死亡する人々の背景を調べてみると、喘息発作を繰り返していなかった中等症の喘息患者も時々みられています。自分の喘息はひどくないから、と言う認識では危険です。

統計によると、日本における喘息死は、1995年の約7000人をピークとしてそれ以降は減少しています。最近では年間1000人から2000人となっています。2000年代に厚労省は喘息死ゼロ作戦の活動を展開しました。その活動は一定の効果を見たと思いますが、それでもまだ全国で1000人以上の人々が喘息で死んでいます。(喘息で死ぬ日本人は年1000人超。ここ10年減らぬ世界の喘息死事情 - まぐまぐニュース! (mag2.com) by徳田安春医師)

 せっかく秋晴れで風も気持ち良かったのですけれどもね・・・とりあえず、声がちゃんと出せるようになったら、マンションの管理人さんに今後の庭木剪定の予定日を教えてもらえるようにお願いしてこようかと思います。

 そうしたら、事前に窓を閉めていられて、苦しさで1日潰れたり、下手したら死ぬことも回避できますからね😞

今更ながら…あれは帯状疱疹だったのか

 仕事が立て込んだりして、なかなかブログ更新ができませんでした。でも「読んでくださっている方なんて、いるのかな?」と疑った頃に、コメントを頂戴したりして。継続は力なりと言いますが、不継続は読者への不義理、なのでしょうね。気をつけます。

 さて、何やら忙しくなると睡眠不足になり、それが「持病転がし」の始まりになるわけですが、今回も忙しくなった頃に耳の裏あたりに例の耳の帯状疱疹の湿疹が出始めて、慌てて抗ウイルス剤の「アラセナA軟膏」をヌリヌリしてやり過ごしていました。抗ウイルス薬も、残っていたのを飲みました。

 おかげで湿疹だけで、今回はめまいが発現するには至らず。はー、良かった。

 その軟膏のせいで、気づいたことがありました。

 パソコン作業に没頭していたところ、気づけば左手の甲にポツっと小さく赤くなってきた個所がありました。メチャクチャ痛痒いヤツです。

 これまで、いつもは「虫に刺されたのかな」「ダニ⁈」と考え、お医者さんにいただいている蕁麻疹用の抗ヒスタミン剤等々を塗り、やり過ごしてきたのです。でも、はっきり言って全然効きませんでした。

 既に書いたように、幼いころからの全身イボ→蕁麻疹の長い経験によって、「触っちゃダメ、触ると余計にひどくなるから意識を飛ばす」というクセがついている私でも、無視できないほどの強烈な痛痒さを引き起こすんです。ヤツは小さいのに。

 その刺激によって周囲には蕁麻疹がしっかり出てきて、「被害拡大」といった様相を呈してしまうのが常でした。

 痒い痒い痒い!と今回もたまらなくなったところで、耳裏に塗った抗ウイルス剤をちょっと塗ってみようと思い立ちました。それで、左手の甲の湿疹にも塗ってみました。

 そうしたら、効いちゃいました。つまり、虫刺されじゃなかったんですね。

 それで、まじまじと見つめてみたら・・・ヤツの真ん中に、ちゃんとミニ水泡があるじゃないですか。意識を飛ばすために無視していたのは失敗でした。

 それから、いくつか同じようになったところにも抗ウイルス剤を塗ってみたら同じようにあっけなく痒みが消えて、自分でも驚いているんです。

 さらに・・・回転性めまいが始まる3年ほど前、左腕にだけ、細かい水泡のある固い湿疹がびっしりできたことがあったのを思い出しました。

 山のようにあった仕事をどうにかこうにか片付けて夏休みを取り、四国旅行に出かけた時のこと。あまり日焼け対策をしっかりしていないまま、袖なしのシャツのまま車の助手席に乗っていました。

 四国の空気がきれいで、窓は開け放していたことが多かったような。それで、出していた腕がしっかり赤く日焼けしちゃったのですね。

 あああ、マズいとさすがに思い、日焼けの処置をして、夏のカーディガンを買ってすぐに着たのではなかったかと思います。

 そうしたら、翌日。左腕の肩のあたりから手首まで、真っ赤になった部分に細かい水泡がびっしりと気持ち悪いくらいにできて、猛烈な痛痒さに襲われたんです。

 でも、旅先だったし「日焼けがひどくなったせいでこうなっている」との思い込みもありました。それで旅行を続け、お医者さんにもかからず、自分で亜鉛華軟膏か何かをずっと塗り続け、長袖を着続けて旅行中は耐えたような気がしますね。

 ホントにつらかった旅ですが、ある意味、その後の私には「旅先で病気」はデフォルトになっていったような気もします。いつも旅先で体を壊し、現地の病院に一時的にお世話になって。

 ただ、その四国旅行の時はまだ体力があった頃で色々と発病する前だったので、せっかくの旅行中に病院に行こうとまでは思わなかったんですね。

 その後、どうなったか。覚えていないのですが、夏休みの旅から戻っても、仕事に追われて何だかんだしているうちに、医者には結局診てもらわなかったと思います。

 今思うと、あれって帯状疱疹だったのではないでしょうか・・・同じ左だし・・・数はだいぶ減ってますが、そっくりな湿疹が、今も耳回りにできているのです。考えてみると、まさに同じ湿疹です。腕に、全体的に見ると帯状に連なっていました。細かい水痘の群れが気持ち悪かったです。

 帯状疱疹体幹にできるものとの思い込みがあったせいで、耳の帯状疱疹がそれだとなかなか分からなかった私からすると、またイレギュラーな発症の仕方であったのかもしれませんね。

 そうか、そうだったのか・・・そう思うと色々と腑に落ちますよ。四半世紀前のことなんですけれど、やっと気づきました。

餅は餅屋、頼りになる専門医

ドクターストップは気楽?

 昨日、懐かしい人と電話でお話する機会があり、その方も私と同様、ドクターストップでコロナワクチンが接種できないと知りました。

 その方の場合、ワクチン成分の1つであるPEGアレルギーなのだそう。そのものずばりなので、「お医者さんからお知らせいただかなかったら、ワクチンを打ってしまって死ぬところだった」と話していました。

 ご自身の信念で接種しない方、これまでの体質を振り返ると不安でできないと判断される方・・・その方々は、外野に色々と接種の効能を言われて諭されたり、受けなさいと言われて悩みも深いようですが、私たちのように「医者に止められた」となると、悩む隙間もないですね。

 ワクチンを諦めるしかないのは、選択肢が減った訳ですが、ある意味楽なことなのかもしれません。かかって死んだらそれも運命。そんな風に思うしかないというか。

 彼女も、諦めてサバサバしていましたが、当然ながらやっぱり注意深く生活しているとのこと。多趣味なのに、外出しなければならない活動は全部止め、家で手を動かしてできるものを黙々とやっているそうです。

 「それも、もう飽きちゃったのよー」とおっしゃって・・・そうですよねえ。

 買い物も人出を避けて夜にこそこそ行き、後は医療機関に行く以外は家にこもっているそうです。

 私は、さらに買い物もネットスーパーをほぼ使ってきたので、買い物に行きたい!という気持ちが最近なかなか抑えられなくて困ります。お話を聞いて「私も夜中に行っちゃおうかな」なんて思いました。

 でも、その目的は完全にレジャー、気晴らしですよね。ネットスーパーが使えるのだから、ワガママなんですよね。とほほ。

膝治療の仲間

 このお話した彼女には、一昨年だったか、膝の専門クリニックを紹介したことがありました。同時期に同じような赤い杖を突いて歩き、杖仲間にもなったんですよね。

 私が膝に怪我をしたのは、本当にもう笑ってしまうような恥ずかしいことで・・・良い子は絶対にマネをしないでくださいね。

 その日、お風呂に入るにあたりハイソックスを脱ごうとしていたんですが、座って脱ぐのが面倒くさくて、立ったまま、片足を持ち上げて片手でハイソックスの先端を引っ張っていたんです。一生懸命引っ張っても、弾性ストッキングでしたから、しっかりしていて全然脱げません。

 そこで諦めて、きちんと座って両手を使って真っすぐ脱げばよかったのに、しつこく片手で引っ張り続けたら、膝が見たこともない方向にぐにゃりと曲がり、その瞬間「ぱちん」という破裂音が軽く聞こえました。

 「え?何?ぱちん?」その時点でようやく青くなって座り、両手でハイソックスを脱ぎました。

 そして・・・その時は何ともなかったように見えたのですが、翌朝までに、膝から下は象の足のように全体が大きく腫れてしまいました。

 てっきり血管が切れたんだと焦り、下肢静脈瘤の手術をした整形外科に連絡してすぐに診てもらいました。

 そうしたら「これは・・・血管じゃないね、膝だよ」とのこと。保険治療ではやれることが限られ、いきなり人工関節だという話が出たところで、途方にくれました。

 それでネットをググって見つけたのが膝治療の専門クリニックでした。

 画像診断で見せてもらった私の膝の軟骨は、アイスクリームをワンスクープ掬ったように、半月状にえぐれていました。「ぱちん」は靭帯が切れた音だったのかと思ったら、軟骨がえぐれた音だったんですね。

 このえぐれた箇所に、培養した私の血小板をフリーズドライにしてパウダーにしたものを注入するという、初めて聞く治療法を勧められました。

 その時聞いた話では、血小板を培養したものを注入する治療法自体は、ある大学病院でもやっているそうで、もしかしたらそこでは先端医療扱いでできたのかもしれませんが、当然ながら変形性膝関節症の当時の標準治療ではありませんでした。

 ましてや、血小板をフリーズドライにしたパウダーを使う手法の方は、その大学病院でさえも、まだやってなかったんですね、当時は。

 そして、その専門クリニックでの施術になるフリーズドライの方が治療結果は良くて、それはマルマル自費での治療になるわけです。

 なんと・・・約30万円もすると言われたと思います。

 でも、公的保険治療で治療することに固執すれば、標準治療では基本は人工関節を入れることになります。それだけは嫌、治せるうちに治したいと思い、再生医療一歩手前のその治療法にチャレンジすることにしたのでした。

 その当時、20年以上も使ったドラム式洗濯乾燥機を買い替えるために、30万円を用意していたのが、そのまま治療費に化けました。

 結果は・・・本当に良かったと思っています。洗濯機は乾燥機能なしの7万円のものを買いました。

 そして、私の治療経過を固唾を飲んで見守っていた知人が2人・・・そのうちの1人が、昨日電話でしゃべった彼女でしたが、すぐにその専門クリニックに通い始め、悩みに悩んでいた膝の痛みや不自由さから解放されたのでした。その後、ご友人8人も同じクリニックに紹介したとか。

 「こんなことなら、クリニックから宣伝費でも貰えばよかったですよね」などと彼女とは笑いあいました。

 私のもう1人の知人もそのクリニックに行き、さらに高度な治療を受け、当然ながらもっと治療費がかさんだようでしたが、長年の膝痛から解放されたと喜んでいました。

 私のようにおっちょこちょいでケガをする場合はむしろ稀で、長年膝の痛みを抱えて辛い思いをしている人は多いですよね。グルコサミンのCMもよく見ますし。たまらず人工関節にしたなんて話も聞きますから、深刻です。

 だから、あのまま普通の整形外科に通っていたらと想像すると、空恐ろしいです。50代にして人工関節を入れるなんて・・・。専門医に行って良かった、そうでなかったら引き受けなければならない結果の差が大きすぎました。

 相撲中継を見るたびに、膝を痛めた力士がたくさん目に入ります。新横綱になった照ノ富士もそうでしたよね。テーピングが痛々しくて「あのクリニックに行けばいいのになあ」と思いつつ、応援していました。

 もちろん、人によってピッタリはまる治療法には違いがあるでしょうけれど、いずれにしても、いざとなったら頼りになるのはやっぱり専門医。私の場合はその連続だったので、餅は餅屋だと実感しています。

 

共生社会のために、ちょっとした気遣い

 パラリンピックが終わりましたね。今夜、閉会式の途中まで見ました。

 その中で、また表示されているなと思ったのが、15%という数字。たぶん、パラリンピックの対象とされる障碍者の、各国の平均値なのか、全人口におけるパーセンテージなのか、どちらかなんだろうなと思います。

 そんなにも多く存在しているのに、100人のうち15人というほど、そこまで姿を見ない気がします。それだけ、社会から目の届かない存在にされてきたのかなと思います。

 特に、日本では。

 アメリカに留学した時に、日本よりも障碍のある人たちは身近にたくさんいるような感覚がありました。学校でも街でもどこでも見かけるなって。例えば、車いすの方たちは特別のことではなく、普通に存在していました。

 友人の家に遊びに行ったら、その家のお母さんが電動車いすを乗りこなし、明るく家事やら車の運転もこなしていましたし、友人や家族、周囲も自然に手助けをしていました。

 学生アパートにも、車いすの学生が住んでいて、これまた器用に車いすをたたんで車に載せて、ひとりで通学していました。

 それに比べて(はいけないかもしれませんが)、そういえば実家の近所に住んでいた脳性麻痺の○○ちゃんは、どうしているんだろう・・・小学校時代は遊んだけれど、その当時、見かけなくなって久しくなっていました。

 現在は昔の「座敷牢」までは行かないかもしれませんが、日本では、日常の場から障碍者の存在を隠す傾向があるんじゃないかと、その留学以来思ってきました。何となく、「いないことにされてる」というか。

 それを他人ごとではなく感じたこともありました。私も、いないことにされそうになったことがあったんですよね。

 2013か2014年の話だったと思うんですが、同窓会の計画が持ち上がっていました。

 かなり久しぶりに、私も元気になってきたから参加したいなと思ったんです。でも、喘息がうまくコントロールできない場合があり、タバコOKだと無理なので、幹事さんの中で気安く話ができる人(だと私は思っていた)に、会場は禁煙にできそうなのかをこっそり聞いてみたのでした。

 そうしたら・・・あっさり「来ないで」と言われてしまいました。

 彼は「来られないことにしておくから、来ないで」と言いました。お招きしている先生方の中に、タバコを吸う先生もいるから、というのがその理由でした。

 気安く話ができるからこそ、正直に言ってくれたのかもしれません。でも、ああ、そうなんだ・・・かなり、がっかりしました。

 ちょっと不便があるからと伝えただけで、何の工夫も配慮もなく、行かなくていい、来なくていいって簡単に言われちゃったな・・・はっきり、疎外されたと感じました。

 結局、その年の同窓会は行きませんでした。

 別の友人たちに「どうして来なかったの?」と聞かれた時、正直に幹事のひとりとのやりとりを伝えたら「ひどい!」と言ってくれる人たちもいれば、「それは、仕方ないかもね」との反応が返ってきて、重い空気になったこともありました。

 皮肉にも、同窓会では例のタバコを吸う先生が私に会いたがっていたとか、私の話をしていたよーとの話も聞きました。

 この同窓会トラブルを、今回のパラリンピックで思い出したのは、あの時私が少し感じた寂しい思いを、障碍者の方たちはもしかしたらずっとしてきたのではないか、と想像したからです。

 ちょっとした段差が無ければとか、ガイドがあればとか・・・何らかの「ちょっとした気遣い」があれば、参加できるのに・・・という場から、ことごとく遠ざけられてきたのではなかったかと、そんな風に思うんです。

 自分の経験からしても、そんなに日本社会は個人に甘くないじゃないですか? まず国というか組織が大事、二の次になっているのが個人、という印象があります。個人がガマンするのが美徳とされる社会と、「人のために国がある」アメリカの傾向とは明らかに違います。

 もちろん、そんなこと無かったよ!とおっしゃる障碍者の方たちがたくさんいてほしいですけどね・・・私の勝手な想像であればいいのですが。

 あの同窓会で、喫煙室でのみタバコOK、メイン会場では禁煙としてくれれば、私は参加できたのでした。実際、その後の同窓会ではそうなって、私もより回復して喘息が安定していたので晴れて参加でき、例の先生ともヘビースモーカーの旧友とも懐かしく話をすることができました。

 あの気安く話ができるはずと思っていた幹事の彼は、何の屈託もなく見えたのが憎らしくて、「前回は来ないでって言われたんだったよね」と皮肉を言ったら「勘弁してよー」と笑っていました。

 幹事が大変なのは、私も経験したのでわかりますけれど、私は「来ないで」とは言いたくないです。今後、また幹事をするとしても、できるだけ多くの人に来てもらいたいと考えて、それが実現できるように代替策を探そうと思います。

 彼は、個人の不便なんか面倒くさいと思い、フレームから外れる異端を切り捨てたんだと思いますね。ずっと彼の方が効率的で現実的、それが良しとされる社会だったように思いますから、彼だけを責められない気もします。

 パラリンピックを見たくらいで、偉そうなことを書いているかもしれませんが・・・他山の石として、共生社会のために、日頃「他人が抱える不便さへのちょっとした気遣い」を忘れたくないなと思います。

まさかの自衛

 少し間が空いてしまいました。ということで、あっという間に2週間に1回、1錠飲んでいるイベルメクチンの日がやってきてしまいました。

 また、サイドエフェクトが出て参ってしまわないように、夜寝る前に、十分空腹になってから飲むつもりです。

 いつになったらコロナ禍が終わるのか・・・また強力そうな変異株が出ていますよね、ミューでしたか。ワクチンを打てない身としては、やはり今はイベルメクチン服用でやり過ごすしかなさそうです。

 昨日のNHKニュースでは、50代のお父さんが、10代の子を残して亡くなったとか。子どもから家族全員感染したこのご家族のお母さん(40代だったか)も現在呼吸器につながれて、生死の境で戦っていると・・・。

 日本でこんなことになるなんて、数年前には考えもしなかったですね。悪い意味で、政治を身近に感じてしまったこの1年半でした。

 政治が誤った時に、国民に対して引き起こす危険の大きさは計り知れないですね。とにかく、コロナであっても万難を排して選挙には行こうと思っている人たちは増えたような気がします。

 まさか、真っ当な医療が受けられないことが当たり前になり、自衛するしかないとは。信じられないです。

 先日、オンラインでお話したお相手も、イベルメクチン服用を始めたとおっしゃっていました。

 困っていることを伝えたら、「あなた、これ飲みなさい」と、仕事の先生が飲んでいるのを少し分けてくれたのだそうです。つまり、この「先生」もどこかで手に入れて飲んでいるんですね。

 この私の知人も、基礎疾患があるにもかかわらず、体質からワクチン接種ができないかもしれないとの話を以前、聞いていました。

 私のように主治医からドクターストップが出て、ワクチンを打ちたいけど打てない人は、実は少なくない数いるんじゃないかと思います。ドクターストップまで行かずとも、自分の体質を考えたら不安だと、ためらって止めた人もおいででしょう。

 そういった体質マイノリティに対して、コロナへの対抗策はなーんにも国から示されていないですよね。ステイホームだけ。見捨てられているに等しい気がします。

 そこに、変異株が次から次へと出てくるのですから。藁をもつかむ気持ちでイベルメクチンになびくのも、仕方ないと思うんです(思い切り自己弁護してますね!)。

 この知人は、既にイベルメクチンの手持ちが4錠しかなく、同じ体質の娘さんにも飲ませたいからとおっしゃるので、私が個人輸入したオンラインショップをお知らせしました。

 先日見たら、かなり待たなければならないようでしたが・・・無事に手に入りますように。

 菅総理、お辞めになるとお昼のニュースになっていますね。「ワクチンは希望の光」と言ってる映像が流れてますが・・・ワクチンが光にはならない国民の存在を、すっかり忘れていましたよね、菅さん。

めまいにはテニスボール?

 書きそびれていましたが、先月末にまた頸椎のカイロプラクティックに行ってきました。

 PPPDというか、フワフワめまい根絶のために行き始めたカイロプラクティック。もう調子を整えるだけになり、1か月に1回のペースで通っていたのが、次はもう2か月後でいいでしょう、という話になりました。順調でうれしいです。

 フワフワめまいに悩んでいる人は、1度はトライしてもらいたい・・・別に親戚がカイロやってるとかそんなんじゃないですが、明らかに血流が違う、しっかり流れてる感覚があるんですよね。

 あくまで感覚のお話なんですけれど。でも、患者の自覚症状ってそれこそ大切じゃないですか。

 この良好な状態をキープするために、教えてもらった通り、家では毎日リハビリと称して「1.5リットルの円柱形のペットボトルに水を入れ、それを首の下に入れて30分は横になる」ことを繰り返しています。

 それと、何と言ってもテニスボールマッサージ!最近は、ペットボトルの代わりにテニスボールを1つ使っているだけなんです。お手軽だし、こちらの方が首回りをピンポイントでマッサージできて超気持ちいいです。

 Bスポット療法について書いた際、なぜか首筋というか頭と首の付け根にあった「岩のように張った頑丈な凝り」がBスポット療法をやったら取れたことを書いたのですが、その部分は「後頭下筋群」って言うんですね、確認したら。

 その部分を緩めるために、昔、通っていた鍼灸師さんが「天柱!」と言いながら太めの針を刺していました。細いのだと、「岩」が頑丈で刺さらないからって・・・そこにもぐさを付けてお灸をしてもらうのが至福の時でした。

 煙で喘息の咳が出てしまうから、できなくなっちゃったのが悲しかったです。

 その「天柱」というツボに、テニスボールですよ。ボールが動かないよう、枕にタオルをかけて、その枕とタオルの間にボールを入れて、その上から頭をのせます。3分程度そのツボを刺激したら、その周りの後頭下筋群あたりを順番にマッサージするように、頭を左右に動かすようにしています。

 テニスボールを2つ使って左右いっぺんにやりたくなる気持ちはわかりますが、私は1つだけ使ってやる方が効果があるように感じています。

 これ、やり終わると一気に見え方が良くなる感じが・・・今朝もやりましたが、目に血流が来てる感じがしました。スッキリ。

 もちろん、首の下にもボールを入れると、ストレートネックがちょうどいいボールのカーブで整う感じです。私的には呼吸もしやすくなる感じがあって、一気に眠気がきます。一瞬深く眠れるような。不思議。

 でも、そのままボールを当てたままで眠らないようにはしています。

 先日も、カイロの先生が、首に触れても出っ張った頸椎にさわる感じが無くなっている(つまり、ちゃんとカーブが戻った)と言ってくれたのも、このボールのカーブのお陰じゃないかと思うんですよね。

 ペットボトルもいいんですけどね、テニスボールマッサージの威力を知ってしまうと、ちょっと物足りなく感じます。

 この後頭下筋群とめまいについて、指摘している専門家サイトがあったので見てみました ➡ 誰でもできる、めまい 頭痛を起こす後頭下筋を緩める3つの対処法 (taiseidou89.com)

 こちらでも、「多くのめまいの患者さんを治療し観察してきた経験上、この筋肉が原因でめまいが引き起こされていると確信しています」と書かれています。対処法に指圧が含まれていますが、テニスボールを使うといいよ、までは書いてないですね。

 商売あがったりになっちゃうからでしょうか・・・なんて。

 テニスボールマッサージについて、ググってみるとご紹介されているサイトはたくさんありますね。

 チラッと見た中で、腰は直接やらずにおしりをマッサージしないとかえって痛めるなどの注意点も触れているなど、こちらがまとまっているようです ➡ テニスボールで筋膜リリース!部位別のほぐし方&マッサージのやり方を紹介│オリエンタルリリース【筋膜リリース×パーソナルトレーニング】 (orientalrelease.com) 

 でも、後頭下筋群については書いてませんね・・・。

 何事も、やりすぎは注意、そして最初は専門家にきちんとした方法を教えてもらうといいかなと思いますが、テニスボールマッサージは、経験者としてはかなり気に入っています。

またイベルメクチンを飲みました

病人への、素人「クソバイス

 東京2020大会の前半、オリンピックが終わりましたね。この間、コロナ感染者の数はあれよあれよと首都圏で増えてしまって、五輪は中止しないのかしら、と冷や冷やしていました。

 「ワクチンも接種できない体質の人間には、国は何も防御策を用意してくれないんだ」と見捨てられた感が私にはあって、患者数が急増して医療のひっ迫をテレビで訴えるお医者さんの目の周りのクマが気の毒なくらいになっているなと思い、開催されている「平和の祭典」に怒りに近い抵抗感が確かにありつつも・・・

 一方で、頑張っている選手の姿を見ると、全力とはいかないまでも、やっぱり応援してしまうミーハーな私なんですよねぇ。

 ということで、これまで大して興味もなかった卓球を、今回の五輪ではしっかり見たのでした。伊藤美誠選手のファンになりましたよ。

 水谷隼選手が目の疾患を理由に競技を離れるようなので、何とかならないものなのかな、と勝手ながら少し思ったり・・・ああこれがいけないですよ。「クソバイス(©犬山紙子さん)」の元。

 ご本人が一番、悩んで色々と調べてお医者様とも相談しての結論だと思います。でも、こういう時に、アレコレ「これを試したら」と周囲だけでなく全国のファンがドッとアドバイスし始めるのではないかと、心配に思っています。

 一方的なアドバイスは、人間関係が壊れますよね。友人知人を失います。私もそうでした。

 ありがたいです、お気持ちはとっても。私を心配してくれているんですよね。だからこそ、言いたいんだと思います。

 しかし、お医者様や同じ病気の経験者ならいざ知らず、というのがありませんか・・・友人知人のご心配をいただきながら、罰当たりなことを書いていますね。

 でもね・・・発症当時、私も余裕がなくて、精神的にも追い込まれていました。そこに「そんなこととっくに知ってるし、私のケースには当てはまらないのよ」と席を立ちたくなる情報不足の類の話を一方的に散々されたりして、かなりイラついたことが正直ありました。

 病で体力もないし、我慢して聞ける精神状態じゃない時に、きつかったです。

 患者本人が相談してくるまで、ご友人たちは待ってほしいなと思います。こんな時こそ、大事な人だからこそ、聞き役に徹しませんか? そうじゃないと、せっかくの気持ちは相手に「クソバイス」としてしか伝わらないと思うんです。

 これは、実は私も失敗の経験があります。そんなつもりはさらさらないのに、私も経験した病気だったからその時の状況をお話ししちゃったら、マウントだと受け取られて嫌われたことがあります。あちゃー。おしゃべり大失敗。

 難しいですよね。このブログだって、そのものがクソバイス的だと読まれてしまうかもしれないし…だから、この話は自戒を大いに込めて。

今度は失敗無し

 前回、薬は「毒にも薬にもなる」話(また失敗談) - マイナー病気録 (hatenadiary.jp)でイベルメクチン服用を巡る失敗談を書いたのは、先月23日。あれから2週間が経過し、予防のために個人輸入したイベルメクチンをまた1錠、飲みました。

 自己責任で飲んでいます。良い子はマネしないでください。

 さて、牛乳やヨーグルトには、今回気をつけましたよ。おかげさまで副作用のめまい等は起きず、ホッと胸をなでおろしました。

 その日は、本当は他の持病の薬が少なくなってきていて通院する予定で、血液検査を受けるため、そもそも朝から水と麦茶しか飲んでいなかったのでした。

 それが、コロナ感染者の急増もあり、病院のある場所まで電車に乗って行くのが怖くなり、迷った結果、通院先に電話をかけて処方箋を送っていただくことにしたのです。

 電話を無事終えて残ったのは、ばっちり空腹の私。イベルメクチンを飲むには絶好の状況でした。

 今回は二の轍を踏まないように、抗アレルギー薬とともに1錠を飲んだら、昼過ぎのかなり遅い時間まで引っ張って空腹のままでずっと待ちました。

 前回のような、気持ち悪い感じもめまいも起きませんでした。良かったー💦

 前回の失敗で、一時的に起きた回転性めまいが本格的復活ではなかったのは本当に良かったです。まあ、人間、弱まると一番の弱点に故障が起きるものですよね。

1日ずれた

 前回から正確に言うと2週間と1日経過して飲んだことになるのですが、本来飲む日だった前日は、うまく空腹の時間を作れなかったので、これはやめておこうと諦めたのでした。

 この前のブログでご紹介したプロトコルには強めに「毎週1錠」と書いてあったのでしたが、添付文書のまま、2週間に1錠で行くことにしたのは、やっぱり、主治医に言われた「異変があったら飲む」話を守らず、先走って予防薬として勝手に使用し始めたという負い目があるからだと思います。

 少しでも薬は減らしたい、もっともな話です。将来的に、必要な時に飲めなくなるかもしれない可能性を考えてのご判断です。

 でも、やっぱり今の感染可能性を少しでも低減する方を選びました。

 生活していかなきゃいけませんから、外出もします。その時に当然マスクもして帰宅すればうがい手洗い鼻うがい、すぐにシャワーも浴びて除菌していますが、それでもワクチン無しのままでは、不安です。

 イベルメクチン服用が進んでいるインドでは、変異株があっても感染者数の増加が抑えられてきたとか?(Coronavirus COVID-19 (2019-nCoV) (arcgis.com))どうなんでしょう・・・そんな話を聞くと、またしばらくは飲むだろうなと思います。

 2週間おきに1錠、自己責任ですけど。

 そうそう、意識の高い(!)お医者さんが発信されているサイトを新たに見つけました。コロナは致命率はインフルエンザの80倍!という数字を見て、そうか、やっぱり…(-_-;)と愕然としました。(新型コロナウイルス|感染症法の謎|なぜ新型コロナは2類から5類に移行できないのか (minerva-clinic.or.jp))

 ちなみに、こちらのお医者さんは、イベルメクチン全然おすすめしてないみたいです…。(新型コロナウイルス|イベルメクチンはなぜ使えないの? (minerva-clinic.or.jp)

 少し前になりますが、ニュースでもおなじみの医師によるイベルメクチンについての記事がありました。読みやすそうなのでリンクを置いておきます。(新型コロナの治療薬としてイベルメクチンを現時点で承認すべきか?(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース

 早く、正式承認されると良いですね!(←こればっかり)

幸運にも、治るタイプのめまいだったかな?

 今日も夏真っ盛り、暑かったですね。

 朝、目覚めた時にめまいが無いのは、本当にうれしいですね。瞼を開ける瞬間に「目が回っていたらどうしよう」と、めまい持ちの方々はご心配じゃないですか? 私も、未だにこわごわ、ちょっと覚悟を決めて目を開けるようなところがあります。

 そう思うと、1年前は大変だったな・・・回転性めまいが治まらないさなか、遠方の専門外来に通っていた日々。コロナ流行もあったから遠慮がちに。嘔吐が続いて体力的にもフラフラだし、熱中症寸前の状態で、外出先で倒れてご迷惑を周囲にかけたらどうしよう・・・なんて心配をしていました。

 まあ、到着すれば点滴して、ちゃんと帰れるようにしてもらえるんですけれどもね。

 こういった対症療法のめまい止めの点滴は、もちろんどこでも標準的にしてもらえると思うんですけれど、ずっと「メニエール病だ」と診断されてきたので、根本治療は無理なんだ、私のめまいは一生続くと思いこんできました。

 それが、私の回転性めまいの場合は、抗ウイルス薬で治るタイプだったことは、回転性めまいとサヨナラ?私の場合 - マイナー病気録 (hatenadiary.jp)で触れました。

 ラムゼイ・ハント症候群(耳性帯状疱疹)なんて、しかも不全型なんて、生まれて初めて知りましたよ。続きを書こうと思います。

ハント症候群について、ちょっと難しい論文の話

 ハント症候群については、たぶん第一人者だと思われる名古屋市立東部医療センター病院長の村上信五さんと、もうお一人との共著の2000年の論文「ハント症候群非定型例の早期診断」(_pdf (jst.go.jp))の「はじめに」でこんなことが書いてありました。

ハント症候群は

を伴う疾患群で、膝神経節に潜伏感染した帯状疱疹ウイルスの再活性化により生じる。

  3つの代表的な症状があるそうです。さらに・・・

 上記3症状がすべて揃うものを【完全型】、帯状疱疹あるいは第8脳神経症状のどちらか、あるいは両方を欠くものを【不全型】と称している。

 完全型は約6割しかなく、また、症状発現には時間的なずれがあることが多く、ベル麻痺との早期鑑別診断は必ずしも容易ではない。

 抗ウイルス剤とステロイド剤の早期治療が有効であることから、ハント症候群非定型例の早期診断は重要である。 

 上の引用文中の箇条書きや改行、【】の設定は私がしました。読んで気づいたのは、基本に「顔面神経麻痺ありき」がドーンとあることです。完全型、不全型でもまず顔面麻痺、といった捉え方。お医者さんにとってハント症候群と言えば、「顔面麻痺の病」なんですね。

 7月19日に「参考」としてご紹介した「ラムゼイ・ハント症候群の初期診療のポイント(アドバイザー 村上信五 名古屋市立東部医療センター 病院長/名古屋市立大学 耳鼻咽喉科 名誉教授)dn04.pdf (maruho.co.jp)」に載っているチャート(図2)も、まず「顔面神経麻痺」からスタート。

 次に「難聴、耳鳴、めまい」が来て、それがイエスだったら「帯状疱疹(耳介、口腔)」のイエスかノーかを選択する形です。

 ここでイエスなら「ラムゼイ・ハント症候群」で決まり、ノーなら「耳痛」があるかないか。「耳痛」がイエスの場合は「ハント症候群」または「耳炎性」という流れです。

 それじゃ、まあ仕方なかったんだな・・・と思いました。「顔面麻痺からハント症候群が始まる」との前提というか認識があるのだから、20年にわたって耳鼻咽喉科のお医者さん方に診てもらう機会があっても、顔面麻痺の「が」の字もなかっためまい患者の私には、誰も耳の痛みや発疹の有無なんか尋ねませんよね。

 これまでの私の症状は、まず回転性めまい。それ以上もそれ以下もなかった感じです。その前後に左耳が赤く腫れて、内も外も触るとイタタタと飛び上がる感じになり、発疹の方も耳介付け根あたりや耳の内側、口内炎も出てきていましたが、めまい以外はどうだっていい、くらいの感覚でとらえていました。

 めまいの惨憺たる状況に比べたら・・・でした。それに、別の病気でしょ、と思っていましたからね。

 その顔面麻痺について、実際に、今年の3月に左耳の付け根の発疹を伴う回転性めまいが少しぶり返した時に、注意して観察しました。確かに顔の左半分だけが、皮1枚上にかぶったような、フカフカして温かい変な感覚があったので「顔面麻痺の兆候?」とゾッとしたのでした。

 でも、そのフカフカ違和感も、注意していたから気づいた、といった程度。全然問題には思いませんでした。

私と同じ、顔面麻痺のないケースを論文で見つけた

 ググった論文の中に、私のように顔面麻痺のないケースが報告されているものを見つけた時は、「おお!やっぱりあるんだ!」と感激しました。

 2012年の論文「激しい回転性めまいと嘔吐で発症した不全型Ramsay-Hunt症候群の1例」(ja (jst.go.jp))という、防衛医大小児科の中村康子さん、松本浩さん共著のものでした。

 6歳の女の子が、まず耳の痛みを感じ、5日後に激しい嘔吐と回転性めまいが出現、9日目に耳介に水泡(帯状疱疹)を経験したケースが、論文では報告されていました。

 わー、これこれ。似てますよ、私のと。

 典型例では3徴候すべてがそろうが、帯状疱疹と第8脳神経症状を欠くものや、稀ではあるが顔面神経麻痺が非常に軽い症例の報告がある。典型例であっても必ずしも同時にすべてが認められるとは限らず、診断には注意深い臨床症状の観察が必要である。

 引用文中のアンダーラインは、私が引っ張りました。

 この女の子は、最初に左耳が痛くなって、軽度の難聴も出ていたのが改善に向かっていたところ、めまい嘔吐に襲われたんですね。つらかったね、まだ小さいのに。回転性めまいが持続していたから寝たきりの状態だったと・・・うんうん、本当に可哀そうです。

 今や日本国民おなじみのPCR検査の結果、VZVというウイルスが陽性だとわかって、抗ウイルス薬のアシクロビルの点滴を入院の日から7日間続けたそう。

 めまいの自覚症状は入院翌日には消えたけれど、眼振はあり(これも私と近い感覚)、ステロイドプレドニゾロン)の点滴も開始。入院5日目にはめまいと眼振は消えて立てるようになり、8日目にはステロイド中止、10日目には無事退院を果たしたそうです。良かったね、女の子ちゃん・・・!

 「考察」では、原因について

主に前庭神経節および迷走神経節に感染したVZVの再活性化によりめまい、耳痛、耳介帯状疱疹の症状が出現したと考えられた

と書かれていました。さらに、考察の締めくくりには

本症例も、入院時、激しいめまいと嘔気のために起き上がることや食事摂取が困難であったが、アシクロビル(注・抗ウイルス薬)、プレドニゾロンステロイド)による治療後は症状がすみやかに改善し、臨床的に治療効果があったと判断した。

 急激に発症した回転性めまいについて、顔面神経麻痺を伴わない場合でも、ラムゼイ・ハント症候群を鑑別診断の一つに考える必要があり、耳介部の帯状疱疹の有無について、注意深い観察が必要であると考えられた(英字はカタカナにしてカッコ注を付けました)

とありました。あー、まるで自分のケースを読んでいるようですよ。

めまい患者が抗ウイルス薬を気軽に試せたら

 私やこの女の子のケースは稀だったのかもしれませんが、でも、もしかしたらメニエールとの診断を受けているめまい患者の中にも、私のように不全型ハント症候群でわかりにくいケースが隠れているのではないかしら?と思います。

 そういった方たちが、試しに抗ウイルス薬での治療に気軽にトライできるようになるといいのにな、と思います。

 なにしろ、最初は自費でのスタートでしたからね・・・ちょっとためらいますよ。変な治療なのかもしれないと思いますよね? 耳の帯状疱疹とわかってからは保険が使えての治療でしたが。

 なんでこんなことになってるのかな、と思ってググったら、「日本めまい平衡医学会」の公式サイトの中に、「メニエール病のゾビラックス治療に対する見解」と題した声明文のようなものを昨年見つけました。

 今日になってまた確認のために見てみたら、サイトもリニューアルされ、その文書も削除されていたようでした。(| 日本めまい平衡医学会 (memai.jp)

 内容は、メニエール治療に抗ウイルス薬を使うなんてとんでもない!といったものだったと記憶しています。あわわ、となりました。

 めまい専門医の団体がそうおっしゃるんじゃ、うっかり「抗ウイルス薬を試したい」なんて口にできませんよね・・・(;^_^A

 でも、削除されたということは?もしかしたら???道が開けるのかもしれませんね。

  


 

医者に行こうか、迷うレベル・・・

暑くて、オリンピックもあって眠れない

 オリンピックが始まりましたね。ステイホームでの観戦を求められているわけですが、なるべく誘惑に負けずに睡眠をきちんと取りたいものです。

 でも、アスリートに比べたら、恥ずかしすぎるくらい意志が弱い私。結局色々と見ちゃうんだろうなあ、俄かファン丸出しで。その姿がすぐに脳裏に浮かびます。

 さて、前回22日の失敗を経て、またグズグズと体調が悪かったです。マイナーな病気のデパートの面目躍如といったところでしょうか。

 本当にもう、マイナーながらあちこちが休みなく悪くなるんですよ。モグラたたきのよう。シャキッとすっきりした1日が送れたら、どんなにいい事かと思います。

 こんなことでしんどいしんどい言っていては、10年もたてば生きてないかも。そんな風にも思いました。現代医療の力が無ければ、とっくに人生を終えていたのは確かですしね。何回も死んでますね。

 でも・・・それもこれも睡眠不足に遠因があるのだろうと、このブログの初回に書いたのでした。こんなに医療費をかけてきたのですから、ちょっとは反省して、心を入れ替えなければ、いつの間にか本当に人生は終わってしまいますよね。

 そもそも、体調が悪化した22日の前夜というか未明、寝るのが遅かったです。3時半ぐらいでした。五輪関係のテレビを見た上、ちまちま連絡メールを書いたりして遅くなりました。

 そして布団に入ったのは12時ぐらいだったのですが、その後、眠れなくて・・・暑かったんです。もう1回お風呂で汗を流して、涼しい部屋であれこれ見ながらゴロゴロしていたら3時を回ってそんな時間になっていました。

 ああもう。4時間ぐらいしか寝てないかもー💦そりゃ気持ち悪くなりますよね。

耳下腺が腫れたり、引っ込んだり

 翌23日の話ですが、前夜ブログを書いた段階ではスッキリ治った回転性めまい・・・のはずが、この日はフワフワめまいが漏れなくついてきて、少々残っていました。ちゃんと引き続き起こるものですね。

 ちゃんとメリスロンを飲んで、おとなしく過ごしました。でも、前日のショックというか疲れがあって、ちょっと熱中症気味だったようにも思います。

 さてそれで24日、フワフワめまいがすっかり消えてきたとホッとしていたら、困ったことになりました。

 晩御飯に家族が買ってきた鰻。大好物です。元気になるように買ってきてくれたんですね。大喜びで、いざ食べようとしたら、急に右側の顎がキュウと痛みだして、みるみる耳の下、耳下腺が腫れてきました。

 またか・・・と思いました。

 咀嚼するたび、痛みが酷くてたまりません。何しろ大好物を前に、普段よりも唾が倍ぐらいたくさん分泌されているはず。それがすごい勢いで右顎関節下にたまっていくような感じでした。

 この痛みは、何と言うか、物理的に皮膚が広げられる痛みと言ったらいいでしょうか。別に炎症があるような感じとは全然違うんです。熱もないし、触れば邪魔だとは思うんですけれども・・・病的な感じが無いんです。

 食い意地が勝り、鰻はなんとか食べ終えた(!)ものの、デザートの葛餅は、どうにも咀嚼できません。こんなに葛餅で顎を使うなんて思いもしませんでした。

 仕方なく、麦茶と合わせてジューサーでシェークにしました。ストローで美味しく飲めたので、良かったです。

 昨日の日曜日は、前日のパンパンに大きく腫れた状態からは小さくなってましたが、かと言って腫れが完全に引いたわけでなく、腫れはありました。

 ところが、晩御飯のきしめんを食べたら、すごく楽になったような気がしました。温かいおつゆが良かったのかもしれません。お風呂でマッサージしたら、また腫れが減り、治ってきたと思いました。

体力が落ちると出てくる持病の仲間入り?

 前回、耳下腺が腫れたのは3月下旬、4か月前でした。

 その時も、回転性めまいがぶり返した後、治ったものの体力的に参っていた時だったような気がします。同じですね。

 さすがに連休明けで耳鼻咽喉科に行こうと昨日ググりましたが、前回同様、あまり慌てなくていい、数日もすれば引っ込む、もちろん腫れが何日も引かないようだったら耳鼻科へ、と書いてありますね。

 そこで、「月曜日の朝の腫れ具合で決めよう」と昨夜、思ったのでした。

 今朝、私の耳下腺の腫れはというと、まあ、きれいに引っ込んでいて・・・ちょっと行きにくくなってしまった近医とは違う耳鼻科を探し、ここに行くぞ!と決めたのでしたが、出鼻をくじかれ、行くのは止めました。

 ところが、またさっきおやつを食べたら、すこーし腫れてきました。ムムム。

 この程度で医者に行って良いものか。安心料だと思って何かあれば「念のため受診」をすぐする方なのですが、今回のこの微妙な腫れ方・・・お医者さんも困るかも。

 このコロナ禍、お医者さんは暇じゃないですからね。邪魔になりたくないですし。

 明日行こうかなあ、行って暑くてかえって疲れるだけかもなあ、コロナも怖いし、と迷います。

 体力温存に努めた方がいいかも・・・と4か月前と同じ判断になりそうです。また、体力低下でひょっこり出てくる持病が増えてしまったかも、と思うと、自分にほとほと呆れます。

 今夜も漢方薬を飲んで、早寝します! 

薬は「毒にも薬にもなる」話(また失敗談)

乳製品と相性悪いイベルメクチン

 今日は、せっかくの連休の初日だというのに、半日潰れてしまいました。薬の副作用にドーンとやられました・・・と言っても、添付文書のインストラクションをいい加減に解釈してしまったせいなので、自業自得なのでした。

 ここからは、完全なる失敗談です。良い子はマネしないでください。他山の石にしてね。

 飲んだのは、イベルメクチンです・・・新型コロナのワクチン接種がドクター・ストップとなり、とうとう自費で購入して、予防として飲み始めました。

 えええええ!いいのそれ?って思いますよね・・・はい・・・。

 先月23日の「ワクチン接種、ドクターストップ(泣) - マイナー病気録 (hatenadiary.jp)」の中で、相談した喘息の主治医に「これは変だ、いつもと違う症状とか高熱が出るとかあったら飲んでもいい」とこっそりお許しをいただき、ただし「予防的に飲むのは賛成しない、今後飲めなくなったら困るから」と釘を刺されていた、あのイベルメクチンですよ。

 まあ、そうなんですよね。予防的に飲むのは、先生的にはダメだったんですよ。それで、個人輸入したイベルメクチンを「お守りとして持ってる」みたいなことを書いたはずでした。

 ただですね・・・基礎疾患アリで、ワクチン接種ができないため自分でも不安が高じた上に、毎日雑踏の中出勤する同居家族が、これまたなかなか接種予約ができず、見るからに私のことを不安がってイライラしているのがこっちも辛かったんですよね・・・言い訳ですが。

 それで、髪の毛もいい加減切りに行きたい!というタイミングで、美容院に行く前に飲み始めたのでした。2週間に1回、1錠飲むだけ。

 初回はもうドキドキ、抗アレルギー薬も一緒に飲みました。空腹時に、水だけで飲みましょうと注意書きがあったので、その通りに。水はたくさん飲みましたね。

 それで特に問題が無くてホッ。それで、今日はなんかちょっと、気が緩んでました。

 午前中の空腹時に飲んだまでは良かったんですが、もっと朝起きてすぐに飲めばよかったんですよ。

 飲んだのは10時半ごろだったのに、昼過ぎにオンラインミーティングの予定があったので、「途中でお腹が空いちゃうよな、何か食べておこう」と考えて、昼ちょい前にヨーグルトをチョイスしてしまいました!

 これ、結果的に思い知ったのですが、ダメな奴だったんですよ・・・。

 薬の添付文書の注意書きには、油がダメ、効き目が増強されるって書いてあったように記憶していたんですけれども、今日、具合が悪くなってから別の説明書きをネットで念のためググって読んでみたら、牛乳レベルでもダメだったんですね!

 「空腹時(食後2時間)に水だけで飲んでください。牛乳や乳製品で飲んではいけません」と書いてありました(↓こちら)。

www.interq.or.jp

 私は、油っぽくないヨーグルトならOKだろうと思ってしまって、薬を飲んで40分ぐらいで食べちゃったんですよね・・・その時、魚肉ソーセージも食べちゃいました。

 タイミング的に、まだ全然でしたよね。本来、食べてから2時間は空けなきゃ、でした。

 それで、昼過ぎから始まったオンラインミーティングの終盤。あれ?なんか私具合悪いかな?と思い始め、終わった頃にはクラクラとめまいが始まりました。

 えー、卒業したはずのめまい??? また復活しちゃったのかと思いました。久しぶりにメリスロンを飲みましたが、段々吐き気が酷くなって、トイレとお友達状態になりました。

 漢方胃腸薬を飲んで、洗面器を携えて一番涼しい部屋でバッタリ倒れること数時間・・・。このダメダメ状態を通過するのに、飲んでから6時間ぐらいかかりました。

 今は、嘘のようにめまいも吐き気も治まりました。ああ良かったです、回転性めまい復活じゃなく、一時的なものでした。

 上記のサイトで見た「おもな副作用は、吐き気、カユミ、めまいなどです」の、カユミは抗アレルギー薬の常時服用のためか特にありませんでしたが、吐き気とめまいはキッチリ出ちゃった形です。

 本当に、こういうのって漏れなく経験する質なのに・・・しかも、めまいや吐き気に弱いのは知ってるのに・・・ちょっとユルく物事を扱うと、こういう目に遭いますね。「毒にも薬にもなる」のが薬なのに。失敗でした。

強烈にイベルメクチンを勧める外国人医師たち

 さて、イベルメクチンについて、先日、NHKBSのスペシャル(「市民が見た世界のコロナショック 5月〜6月編」 - BS1スペシャル - NHK)で強烈に勧める外国人医師が一瞬出てきて、興味深いと思って続きを見たのでした。そんなに海外で成果が上がっているとは。なるほど・・・。

 そうしたら、ちょうど関連の文書をさっき見かけたので、せっかくですからこちらにも記録しておこうかと思います。ivermectin_20210616_j.pdf (kitasato-infection-control.info)

 イベルメクチンを中心としたプロトコルにビタミンを加えたものにより,病気のすべての段階を予防・治療できることが,何十もの査読を経た研究成果で明らかになっています。

 この非常に安全で,効果的で,安価で,広く入手可能な薬剤は,ノーベル賞を受賞した優秀な日本の研究者によって約 50 年前に世界に与えられたものであり,今回のパンデミックにおいて,何十万人もの COVID-19 患者とその家族に救命効果をもたらしたことは,世界的に評価されるべきものであります。

 イベルメクチンが広く配布されると,プログラム開始後 10 日以内に感染者数と死亡者数が劇的に減少します。これは,メキシコ,インド,ペルー,ブラジルなどの国々で起きた結果です。

 ということで、予防と早期治療のプロトコルが続いて記されていました。

 この医師団体の関連サイト(私たちについて| FLCCC | Front Line COVID-19 Critical Care Alliance (covid19criticalcare.com))ものぞいてみましたが、元々は英語のサイト(Home | FLCCC | Front Line COVID-19 Critical Care Alliance (covid19criticalcare.com))を機械翻訳したんでしょうね、読めた日本語じゃないのが残念ですが、言わんとすることは分かります。

 こちらの勧めているプロトコルの予防策だと、イベルメクチンは毎週飲んだほうが良いらしいですね。うーん・・・やっぱり私は、感染するまでの予防には、控えめに2週間に1回に抑えておこうかなと思います。

 とにかく、早く北里大学臨床試験が進みますように! 

回転性めまいとサヨナラ?私の場合

個人的経験です。慎重に書きます

 前々回にPPPD(ふわふわめまい)を頸椎専門のカイロプラクティックに診ていただいて改善してきている話を書いた中にちょっと触れたのですが、昨年春に回転性めまいが誤魔化せないほどに悪化して、世の中のコロナそっちのけで「私はもう一生寝たきりなのか」と泣いていた時期がありました。

 それが、今はもう回転性めまいの心配を全くと言っていいほどせずに、日常を送れるようになっています。正直、信じられないです。

 いや、でも、毎年の鬼門である8月を経過してみないと「私、回転性めまいは治ったよ♪」と断言しにくい気分も、まだ自分の中にはあります。真夏から秋、さらに大寒から春にかけての時期が、いつも悩ましい私のグルグルめまいシーズンでした。

 さて、「寝たきりになってたまるか」とジタバタし始めた昨年、めまい嘔吐に悩みながら改めて調べたら、めまい治療については、まだ様々な議論が医師の間で戦わされている様子であることがわかりました。

 専門家間で意見が違うのでは、患者は困りますが・・・。

 でも、はっきり言って「治ればどっちだっていい」が私の本音です。とはいえ、そういった議論がある点も考慮しつつ、私のようなケースもどなたかのためになるかもしれませんから、慎重に自分の個人的経験をご紹介したいと思います。

ひっそり始まった私の回転性めまい

 20年以上も付き合ってきた回転性めまい。その心配をせずにこうやってパソコンに向かい、このブログを書いている幸せ。ずっと、ぶり返さずにあってほしいです。

 私が最初に回転性めまいを感じたのは、会社のエレベーターを降りようとしたときでした。20年以上前になりますね。

 目当ての階に着いて、扉が開いたはいいけれど、グラングランと大きく世界が回って、地震が来たのかと思ったらそうではなく、揺れたのは自分だけだったんです。

 「おっと!」と両手を広げてバランスを取ろうとして、ひとり注目されちゃったのを覚えています。まだその日は、軽かったですね。

 その少し前に、私は喘息発症やら骨盤腹膜炎で入院・手術を経験していました。いったん回復して復職、会社のエレベーターに乗ったのでした。

 その後、熱が下がらなくなる(不明熱→甲状腺疾患でした。また書きます)などしたので、病気療養のために長期休職→期間満了退職(涙)することになりました。

 ということで、なにしろ他の病気襲来に気を取られていて、ひっそり始まっていた回転性めまいが正確にいつからだったのか、記憶してないんですよ。他の病が治っていくにつれて顕在化してきて、いつかどこかで「メニエール病」との診断を受けました。

 昔のノートでも見つかれば、何か書いてあるかもしれませんが、熱が下がらない!暑い!とか、おなか痛い!とか、めまい以外のことしか書いてないかもしれません。

以前とは違う、治まらないめまい発作

 その後、先ほど書いた鬼門の時期を中心に、体力が落ちるといきなり回転性めまいの発作がやってきていました。

 「体力が落ちると」というのは、後から考えるとそうだった、ということなんですね。当時はわかっていませんでした。ただ、じんましんも喘息も、体調が悪ければ悪化しますので、経験上知っていることではありますよね。

 めまい発作が起きると、イソバイドやメリスロンを処方され、しばらく飲んでいるとまあまあ回復。時には救急車で運ばれて点滴を打って回復、といった対症療法でずっと過ごしてきました。

 ご存じのように、回転性めまいの発作が起きるとグルグル回って酷い船酔いに似た状態がしばらく続くので、その間、嘔吐が止まらずトイレにしがみつき、お友達になっていないといられません。

 でも、しばらく辛抱して待てば発作が治まり、メリスロンが効いてくれるので、めまいをやり過ごしてひたすら待つ。そうやってきました。

 「内耳がむくんで水ぶくれ状態だから発作が起きる」説に基づき利尿剤を飲むとか、逆に、「体内の水分が足りないから内耳付近が水分をため込もうとして水ぶくれになっているので、水を積極的に飲みましょう」的な説に基づき、とにかく水を飲むとか、自分では色々とトライしてきたつもりです。

 ただ、昨春のめまいは何か以前とは違いました。何をしても、メリスロンを指示通り飲んでも、ほぼ気休め。ちょっと低減する気もしないではないが、一向に良くならない感じがありました。

 それで「このままではまずい。聴力を失うような手術は嫌だ、でも寝たきりになってしまう」と思ったのでした。

「溺れる者は藁をもつかむ」心境

 昨年の手帳を見ると、3月3日にはひどい耳鳴りからグルグルの回転性めまい発作を起こしています。その前月に長く看病に追われていた飼い猫が死に、心身ともに落ちていたんだと思います。その半年前、看病が始まった頃から、めまいは頻発していました。

 そんな時、知人から聞いたのが「抗ウイルス薬を飲んで酷いめまいが治った人を知っている」という話でした。それも別々のふたりから。

 抗ウイルス薬で治療をしている医師が札幌にいて、わざわざ札幌まで行ってすっかり治った、という話が共通していました。どうやら同じお医者さんの話でした。

 その医師が書いた本(↑)を教えてもらい、ぜひ札幌に行こうと思ったら・・・なんと既に引退して診察をお止めになったらしいと、ネットで調べてわかりました。

 なんてことだ・・・遅かった。大ショックでした。

 それでも、同じ治療をしている先生はいないかしらとネットで探し、3件のお医者さんに当たりをつけました。

 昨年4月28日、29日の手帳には「耳鳴りが酷い、コロナ終息したら行こう」等々と書いています。そして、3件のうちのひとりに、コロナの終息を待ちきれず連絡を入れたのが6月1日。予約が取れたのは7月3日でした。

 昨年はちょうど6月19日に緊急事態宣言が明け、全国移動が解禁になっていました。

 その日、呼吸器内科の喘息を診てもらっている主治医に「新たに抗ウイルス薬でのめまい治療にトライしようと思う」と一応相談したところ、薬物アレルギーが様々に出る体質から「その場合は一晩入院して、投与して様子をみる方が良いのではないか」と注意がありました。

 喘息の主治医は本音では「なんだそれ?めまい治療にステロイドじゃなくて抗ウイルス薬?」と思ったらしいです。これは、甲状腺を診てもらっている医師の反応も同じで「聞いたことがない」という顔をしていました。

 でも、私が「もうこのままではやってられない、仕事もできない」「ずっとめまいで、メリスロンを飲んでも埒が明かない」と泣き、打開策が他にない状態だったことから、私のチャレンジを止めなかったのだろうと思います。

 私の決心は固かったですね。本当に、藁をもつかむ心境でした。

いざ、抗ウイルス薬服用スタート

 昨年7月3日、待望の「めまい外来」初診では、前々回書いたように首の異常を指摘されたのでしたが、抗ウイルス薬での治療を希望したところ、自費での治療が始まりました。

 公的保険は使えませんでした。めまいの標準治療ではないということですね。なぜ?と思いましたが、後がありませんから、やってみようと決心しました。

 コロナ禍であり、喘息の主治医が言ったようには入院できず、少量から慎重に飲むことになりました。

 翌4日の初日、バラシクロビル500mgを1錠だけ、飲みました。何も特に変化は起きず、「心配なし」と手帳にも書いています。

 そして2日目の昨年7月5日ですが・・・その日は2錠飲みました。そうしたら滅多に起きない頭痛が出来、痛くて痛くて、少しでも症状が和らがないかと水をガブガブ飲みました。でも一向に頭痛は治まらず、早めに寝ました。

 その時、左耳の中が、なぜかツーンと痛痒い感覚がありました。

 7月6日の3日目、頭痛はすっかり消えて、その日はバラシクロビル500mgを3錠飲みました。これでMAX、以後はこの1日3錠のまま続けましたが、それでも帯状疱疹治療での服薬量の半分だと聞いたように思います。

 抗アレルギー薬は毎日のことで6日も飲んでいましたが、前年に手術した左ヒザにひっかいたようなミミズバレが赤くクッキリ浮き出てきて、驚きました。

 なぜ手術した箇所に?組織が新たに再生している場所だからなんでしょうか。

 7月7日の4日目、その日も8時間おきに3錠を飲みました。「眠いが慣れてきたかな」と手帳にはメモしています。

 耳鳴りは残っていたものの、この7日までには、私を悩ませていた回転性めまいが一旦ほぼ消えていた感覚があったように思います。劇的でした。

 自覚症状では「めまいが消えた」と感じていたんですが、自分でもそれが信じられない心地でした。その後の受診時に「まだ眼振がある」と指摘され、客観的にはめまいは治っていないと知りましたが、自覚的な差は大きかったです。

 眼振については「いつ発作が起きてもおかしくない」との評価だったと思います。抗ウイルス薬治療は続行しました。

 1クール目は7月18日まで。その後、薬を減らしたり、休薬したり、抗ウイルス薬の種類を変えたりしながら、12月1日までの第8クールを終えました。

耳鳴りが残っていた

 そもそもこの抗ウイルス薬でのめまい治療を思い立ったのは、前述のようにふたりの知人にそれぞれ「治った人がいるよ」と教えてもらったからだったのですが、当事者ふたりのうちのおひとりをご紹介いただくことができ、話を伺うことができました。

 実は、その方はフワフワめまいのPPPDに今は悩んでいる、とのことでした。10年ぐらい前に札幌に治療に行って、回転性めまいは「すぐに治った」ので、喜んで帰京したのはいいけれど、実は耳鳴りは残っていたというのです。

 「耳鳴りぐらいはいいか、ってその時は思っちゃった。(そのせいでフワフワめまいに悩まされるのだったら)もう少し長く抗ウイルス薬での治療を続けるべきだったのかも」とのことでした。

 だから、私は回転性めまいはすぐに消えた自覚があったものの、耳鳴りも眼振もきっちり消えるまでは薬を続けよう、と固く思ったのでした。

 でも、前々回のブログにも書いたように、頸椎カイロプラクティックで私の場合は耳鳴りもフワフワめまいも軽減できる話だったので、抗ウイルス薬は切り上げても良かったのかもしれません。

 ただ、この回転性めまい、1度しっかりぶり返しました。しつこーい。

 2021年1月に入って、耳鳴りと「左耳の痛み」がちょこちょこと出現しては消えていたのでしたが、昨年に続きやはり3月3日、左耳痛と耳鳴りがひどくなったと思ったら、3月5日、強い回転性めまいが出現したのでした。

 治ったと思ったのに、3か月しか持ちませんでした。ショック。

 5日、昼から痛みを感じていた左耳に、夜には湿疹が出現し、7日には左耳の中から少し出血。めまい外来に再度駆け込んで、抗ウイルス薬の飲み薬と共に塗り薬もだしてもらいました。

 その後、4月半ばまで抗ウイルス薬を飲み、落ち着きました。

メニエールじゃなかった

 ここまで読んで、「あれ?めまいの話でしょ。湿疹が出るの?耳が痛いの?何の話?」と違和感をお持ちになった方もおられますよね。

 プラスして・・・どうして私は「メニエール」と書かないのか、と思った方もおいでかもしれません。そうです、私はいつだったか診断されたと書いた「メニエール」という言葉をなるべく使わず、「めまい発作」とか「回転性めまい」とか、この記事では書いてきました。

 私も、20年以上もずっと「メニエール病」だと診断された通り、信じてきました。でも、今回の抗ウイルス薬での治療を経験したのをきっかけに、メニエールではなかったことが分かったのです。

 青天の霹靂とはまさにこのこと。

 私のめまいは、「不全型」ではあるのですが、耳の帯状疱疹「ラムゼイ・ハント症候群」によるものだったらしいです。幼いころに病んだ水ぼうそうウイルスが眠っていて、体力が落ちたことを契機に活発化、聴神経がやられたことで回転性めまいが出ていたらしいです。

 そこに気づいたきっかけですが・・・昨年の7月に抗ウイルス薬を飲み始めて、めまいと一緒に、耳回りの湿疹がきれいに消えたことでした。

 この湿疹は、長年の全身いぼ(当時、原因不明でしたがこちらも関係があったのでしょうか?そういえば似てるかも)に悩んだ過去を持つ自分としたら「大したことないだろう」と気にも留めずにきた程度のものでした。

 ひどい時には喘息の主治医にゲンタシン軟膏を処方してもらって、塗って、それでまあ大事に至らないと言うか、誤魔化せる感じでした。

 額の生え際にもボツボツ並んであったのが最近は消えたなと思っていても、時期によって湿疹は出たり消えたり。完全には消えません。それが、抗ウイルス薬を飲み始めたらきれいに消えたのです。なぜ?と思いました。

 ついでに、背中の発疹も消えてきています。飲み過ぎた薬による薬疹だと子どもの頃からずっと言われ、汚い背中は諦めていたのに。

 湿疹とめまいを関連付けて考えたことが無かったので大きな驚きでしたが、もう1つ、関連して考えてこなかったことがありました。耳の痛みです。

 めまいがグルグルと酷い時に、なぜか耳が赤く腫れて痛いことがありました。でも、めまいの方で忙しいので「耳が痛いことなどはどうでもいい」と思い、「知らぬ間に蚊にでも刺されたのか」ぐらいに考えていたんです。

 3月上旬に蚊?おかしいですよね。

 まさか、めまいと関係があったとは・・・これまで、めまい治療で耳鼻科を受診してきて、発疹や耳の痛みを医師に伝えたことはありませんでした。

 関係ないでしょ、と思いますよね?めまい治療に来て、発疹や耳が痛いなど、皮膚科のお医者さんでもないし、聞かれなければ答えようとも思わないですよね?

 とにかく、ずっとメニエールだと思ってきたのでびっくりでした。「えー、ずっと耳が痛かったの?」と今回、めまい外来でもお医者さんが驚きの声を上げました。まさかハント症候群だったとは。

 原因不明ではないので、治るめまいだったわけです。

 稀な例かもしれませんが、私のような人も実はいるのではないでしょうか・・・この、ラムゼイ・ハント症候群については、また続きを書こうと思います。

<参考>ラムゼイ・ハント症候群の初期診療のポイント(アドバイザー 村上信五 名古屋市立東部医療センター 病院長/名古屋市立大学 耳鼻咽喉科 名誉教授)dn04.pdf (maruho.co.jp)

医者選びの紆余曲折(ダラダラ書いてます)

 知人が言うには、私は医者に恵まれているそうです。うーん、そうでしょうか? 思い返せば、ひどい目に遭ったことも結構あるんですけれど。 

 もし恵まれているとしても、最初からそうだということではなくて、紆余曲折あっての今だと思うんですけれどもね・・・つらつらダラダラ振り返ってみました。

親が選んだ医者は

 幼少期は、もちろん私には選択肢なんかなく、親が見つけた医師にかかっていたわけです。一番最初に記憶のあるクリニックの「前田先生」は、前にも書きましたけれど、保育園の先生かと思いこむほど懐いていたらしいです。

 大きな注射を打たれて泣いていたそうですが、そこまで保育園児が懐くとは、優しい先生だったのでしょうか。男の先生だったぐらいしか覚えていないのですが、毎日のように通っていたということは、明らかに近所だったんでしょうね。

 その後、引っ越してから自家中毒で長期入院した病院は、地元の総合病院だったからでしょう。

 ただ、小学校時代に全身いぼ&アレルギーでずっと通っていたのは、地元というよりも少し遠く、地域で一番大きな病院でした。母が車の免許を取って(!)、片道1時間近くかけて、アレルギー治療でも当時先駆的なお医者さんに毎週診てもらっていたような気がします。

 あら、恵まれてましたね!親に感謝しなければ。

 その地域の大病院には、少なくとも中学生の終わりまでは通いました。並行して、近くの耳鼻科医院やら外科やらには途切れず行きました。耳鼻科はよくおぼえていないです。混んでました。

 外科は、キッチン前でしゃがんで何かを取ろうとしたときに滑り、その拍子に開いていた扉にぶら下がっていた包丁をつかんでしまい、左手人差し指がざっくり切れた時、ちゃんと治してくれました。

 父が右往左往していたのを思い出します。全然関係のない物を手に、あっちこっちと歩いていました。たぶんハンガー。反対に、母がものすごく落ち着いていて、輪ゴムやら氷やらで止血をしてから電話帳で探した外科に電話して、車で連れて行ってくれました。

 部分麻酔だったので、治療中にこわごわ目を開けてみたら、自分の指から黒いコードのようなものが引き出され、それをお医者さんが接いでいるのが見えました。きゃー。

 神経が切れ、ピアノももうダメかと思われたのでした。でも、しばらく感覚のない箇所もありましたが、今は何ともありません。

 聞けば、地元では名医で通っていたそうです。恵まれてましたね!

 ただ、小学4~5年で両足の甲を骨折した時は、別の医院でした。大きなケガは治ったのですが、右足の親指の付け根がちょっと痛いまま大人になって、今もそこが痺れています。

 きっと小さな骨折が気付かれずに残り、変な風にくっ付いてしまったんでしょう。これは、ちゃんと治してもらいたかったですね。その後、走り出しがズキンと痛いので、短距離走が嫌いになったのでした。

 子ども時代は2勝1敗というところでしょうか。割と恵まれてましたね!

大人時代、いよいよ自分の選択

 本格的な医者探し・医者通いが始まったのは社会人になってから。治らない風邪に抗生剤の点滴を打ってアナフィラキシーショックに陥ったのを皮切りに、下腹部痛に常時悩まされるようになって、またお医者さんとのご縁ががっちりできてしまいました。

 ここからはお医者さんとのご縁が多すぎて、とても全部は書けません。婦人科のお医者さんを中心に振り返ってみましょうか。

 姪も生まれた地元の産婦人科なので、勧められて初めて行った医院の男性医師は、私が「常にモリが刺さっているようだ」と訴える下腹部痛について「炎症の数値も低いし、子どもが痛い痛い言っているようなもの」と一蹴。がーん、でした。

 その後も他の婦人科クリニックを片手ぐらいは回りましたが、残念ながら似たような感じで、はかばかしい治療は受けられなかったです。

 紹介されて行ったある大病院で卵管造影検査を受けたところ、造影剤アレルギーでまたアナフィラキシーショックに陥って、意識が飛びました。

 目が覚めた時には、私を囲んでいた看護師さんたちが泣いていたのに気づきました。その後は訳も分からないまま待合室に放置され、私の次に検査を受けるはずだった人に、何が起きたのかを教えてもらったのでした。

 その人は、私が急に血圧が低下して意識を失ったのを見て怖くなり、検査を受けるのをやめたとのことでした。

 当然、そこの病院には行くのをやめました。医療過誤の損害賠償でも請求するべきだったでしょうか? その後、色々と問題を起こして裁判沙汰になった病院だったので、殺される前に離れられて良かったのかもしれません。

 そもそも、前の患者さんのお話が次の患者さんに丸聞こえ。何かと患者に対するデリカシーのないシステムの病院だとは思っていました。

 造影検査時も、どこかで自分のアレルギー体質について説明したかったのに、7人ぐらいのグループで移動したと思ったら、あれよあれよとベルトコンベア式に検査が始まってしまったのでした。

 その後も、できれば女医さんにお願いしたいと婦人科クリニックを探しましたが、どうもピンとこない状態が長く続きました。

 引っ越して、とうとう日和見感染による骨盤腹膜炎を起こして別の大きな総合病院で腹腔鏡手術を受けたところ、私の「モリで突かれている」ような常にある痛みは子宮内膜症・腺筋症、その他の炎症に尿道が取り込まれて締め付けられている痛みだったと分かりました。

 その病院は、とにかく一番近かったから行った、という感じでした。選択というか、私はまず近いところばかり行っていますね。

 ご親切な粘り強いお医者さんが複数おいでだったなと思う一方、セクハラ医師もいたし、怒鳴り散らしてこちらを詐病扱いする困った医師もいて、お医者さんといえどもひとくくりにできない人間なんだなとこの病院では学んだ次第です。

 本当に長くお世話になり、担当医が知らない階段を私が知っていたり、病院について、後から入院してきた同室の患者さんになぜか「牢名主」のように私が色々と説明するはめになったり。その後の開腹手術もこちらでした。

 そうそう、退院の日、どうやら風邪をうつされて発熱していたのに、婦人科的にはOKだからとそのまま退院したんでした。なんだかなー、でした。

 また引っ越して、その病院の婦人科からは離れました。

 その後、再度の引っ越し先の大病院にも子宮けいれんの際に1度救急でかかったこともあるのですが、ネットや書籍で調べて近さにこだわらずに探し、ようやく今、信頼できる女医さんの婦人科クリニックに落ち着きました。

 長かったですね、落ち着くまでに本当に長くかかりました。婦人科だけでこれです。

近さよりもこだわるべきは

 薬剤師だった友人が、猛勉強の末に医師になってから言った言葉は「医者なんてね、検査数値を片手に霧の中を歩いているようなもので、何もわかってない」でした。

 この言葉が、お医者さんのはぐらかそうとする自信のない声、ひどい時は怒鳴り声を聞きながら、頭に浮かぶ瞬間が無かったわけではありません。

 もちろん、彼女が言う「何もわかってない」までは言いません。でも、あー、素人の患者の言うことなんか何も聞いてないんだな、何も聞きたくないんだな、と思うことははっきり言って、よくありました。

 患者が何か言うだけで、バカにされたと思うお医者さん。質問もできません。

 でも、そういった残念な例がある中でも、今も通っているお医者さんたちのように、真摯に患者に向き合ってくれている方々を最終的には見つけることができたということは、やっぱり私は恵まれていたんでしょうね。

 たまたまかもしれませんが、私が現在も通う呼吸器内科、婦人科、甲状腺内科の医師は、女医さんばかりです。

 人間だから、相性もありますよね。私の場合、やっぱり女同士の方が安心できるみたいです。女医さんが増えてほしいなと思います。

 それから、面倒くさがって近所の医師にかかって済ませようとすると、ひどい目に遭いがちだと、やっとやっと学習しました。

 幸い、インターネットで細かく名医も探せる時代。情報を集め、それぞれの医師のホームページをよく読んで、遠かろうがちゃんと診てくれると納得できるお医者様を見つけることが大事なのでしょう。

 そして見つけたら、早起きを面倒くさがらず、浮気せずにそこに行くべきなんですよね。私は知らず知らず近さにこだわり過ぎていたようで、それが失敗の元だったと今回振り返ってみて思いました。

 長々と書いた割に、至極当たり前の結論になってしまいました。

 今回はこの辺で。ダラダラにお付き合い、ありがとうございました。