マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

医者選びの紆余曲折(ダラダラ書いてます)

 知人が言うには、私は医者に恵まれているそうです。うーん、そうでしょうか? 思い返せば、ひどい目に遭ったことも結構あるんですけれど。 

 もし恵まれているとしても、最初からそうだということではなくて、紆余曲折あっての今だと思うんですけれどもね・・・つらつらダラダラ振り返ってみました。

親が選んだ医者は

 幼少期は、もちろん私には選択肢なんかなく、親が見つけた医師にかかっていたわけです。一番最初に記憶のあるクリニックの「前田先生」は、前にも書きましたけれど、保育園の先生かと思いこむほど懐いていたらしいです。

 大きな注射を打たれて泣いていたそうですが、そこまで保育園児が懐くとは、優しい先生だったのでしょうか。男の先生だったぐらいしか覚えていないのですが、毎日のように通っていたということは、明らかに近所だったんでしょうね。

 その後、引っ越してから自家中毒で長期入院した病院は、地元の総合病院だったからでしょう。

 ただ、小学校時代に全身いぼ&アレルギーでずっと通っていたのは、地元というよりも少し遠く、地域で一番大きな病院でした。母が車の免許を取って(!)、片道1時間近くかけて、アレルギー治療でも当時先駆的なお医者さんに毎週診てもらっていたような気がします。

 あら、恵まれてましたね!親に感謝しなければ。

 その地域の大病院には、少なくとも中学生の終わりまでは通いました。並行して、近くの耳鼻科医院やら外科やらには途切れず行きました。耳鼻科はよくおぼえていないです。混んでました。

 外科は、キッチン前でしゃがんで何かを取ろうとしたときに滑り、その拍子に開いていた扉にぶら下がっていた包丁をつかんでしまい、左手人差し指がざっくり切れた時、ちゃんと治してくれました。

 父が右往左往していたのを思い出します。全然関係のない物を手に、あっちこっちと歩いていました。たぶんハンガー。反対に、母がものすごく落ち着いていて、輪ゴムやら氷やらで止血をしてから電話帳で探した外科に電話して、車で連れて行ってくれました。

 部分麻酔だったので、治療中にこわごわ目を開けてみたら、自分の指から黒いコードのようなものが引き出され、それをお医者さんが接いでいるのが見えました。きゃー。

 神経が切れ、ピアノももうダメかと思われたのでした。でも、しばらく感覚のない箇所もありましたが、今は何ともありません。

 聞けば、地元では名医で通っていたそうです。恵まれてましたね!

 ただ、小学4~5年で両足の甲を骨折した時は、別の医院でした。大きなケガは治ったのですが、右足の親指の付け根がちょっと痛いまま大人になって、今もそこが痺れています。

 きっと小さな骨折が気付かれずに残り、変な風にくっ付いてしまったんでしょう。これは、ちゃんと治してもらいたかったですね。その後、走り出しがズキンと痛いので、短距離走が嫌いになったのでした。

 子ども時代は2勝1敗というところでしょうか。割と恵まれてましたね!

大人時代、いよいよ自分の選択

 本格的な医者探し・医者通いが始まったのは社会人になってから。治らない風邪に抗生剤の点滴を打ってアナフィラキシーショックに陥ったのを皮切りに、下腹部痛に常時悩まされるようになって、またお医者さんとのご縁ががっちりできてしまいました。

 ここからはお医者さんとのご縁が多すぎて、とても全部は書けません。婦人科のお医者さんを中心に振り返ってみましょうか。

 姪も生まれた地元の産婦人科なので、勧められて初めて行った医院の男性医師は、私が「常にモリが刺さっているようだ」と訴える下腹部痛について「炎症の数値も低いし、子どもが痛い痛い言っているようなもの」と一蹴。がーん、でした。

 その後も他の婦人科クリニックを片手ぐらいは回りましたが、残念ながら似たような感じで、はかばかしい治療は受けられなかったです。

 紹介されて行ったある大病院で卵管造影検査を受けたところ、造影剤アレルギーでまたアナフィラキシーショックに陥って、意識が飛びました。

 目が覚めた時には、私を囲んでいた看護師さんたちが泣いていたのに気づきました。その後は訳も分からないまま待合室に放置され、私の次に検査を受けるはずだった人に、何が起きたのかを教えてもらったのでした。

 その人は、私が急に血圧が低下して意識を失ったのを見て怖くなり、検査を受けるのをやめたとのことでした。

 当然、そこの病院には行くのをやめました。医療過誤の損害賠償でも請求するべきだったでしょうか? その後、色々と問題を起こして裁判沙汰になった病院だったので、殺される前に離れられて良かったのかもしれません。

 そもそも、前の患者さんのお話が次の患者さんに丸聞こえ。何かと患者に対するデリカシーのないシステムの病院だとは思っていました。

 造影検査時も、どこかで自分のアレルギー体質について説明したかったのに、7人ぐらいのグループで移動したと思ったら、あれよあれよとベルトコンベア式に検査が始まってしまったのでした。

 その後も、できれば女医さんにお願いしたいと婦人科クリニックを探しましたが、どうもピンとこない状態が長く続きました。

 引っ越して、とうとう日和見感染による骨盤腹膜炎を起こして別の大きな総合病院で腹腔鏡手術を受けたところ、私の「モリで突かれている」ような常にある痛みは子宮内膜症・腺筋症、その他の炎症に尿道が取り込まれて締め付けられている痛みだったと分かりました。

 その病院は、とにかく一番近かったから行った、という感じでした。選択というか、私はまず近いところばかり行っていますね。

 ご親切な粘り強いお医者さんが複数おいでだったなと思う一方、セクハラ医師もいたし、怒鳴り散らしてこちらを詐病扱いする困った医師もいて、お医者さんといえどもひとくくりにできない人間なんだなとこの病院では学んだ次第です。

 本当に長くお世話になり、担当医が知らない階段を私が知っていたり、病院について、後から入院してきた同室の患者さんになぜか「牢名主」のように私が色々と説明するはめになったり。その後の開腹手術もこちらでした。

 そうそう、退院の日、どうやら風邪をうつされて発熱していたのに、婦人科的にはOKだからとそのまま退院したんでした。なんだかなー、でした。

 また引っ越して、その病院の婦人科からは離れました。

 その後、再度の引っ越し先の大病院にも子宮けいれんの際に1度救急でかかったこともあるのですが、ネットや書籍で調べて近さにこだわらずに探し、ようやく今、信頼できる女医さんの婦人科クリニックに落ち着きました。

 長かったですね、落ち着くまでに本当に長くかかりました。婦人科だけでこれです。

近さよりもこだわるべきは

 薬剤師だった友人が、猛勉強の末に医師になってから言った言葉は「医者なんてね、検査数値を片手に霧の中を歩いているようなもので、何もわかってない」でした。

 この言葉が、お医者さんのはぐらかそうとする自信のない声、ひどい時は怒鳴り声を聞きながら、頭に浮かぶ瞬間が無かったわけではありません。

 もちろん、彼女が言う「何もわかってない」までは言いません。でも、あー、素人の患者の言うことなんか何も聞いてないんだな、何も聞きたくないんだな、と思うことははっきり言って、よくありました。

 患者が何か言うだけで、バカにされたと思うお医者さん。質問もできません。

 でも、そういった残念な例がある中でも、今も通っているお医者さんたちのように、真摯に患者に向き合ってくれている方々を最終的には見つけることができたということは、やっぱり私は恵まれていたんでしょうね。

 たまたまかもしれませんが、私が現在も通う呼吸器内科、婦人科、甲状腺内科の医師は、女医さんばかりです。

 人間だから、相性もありますよね。私の場合、やっぱり女同士の方が安心できるみたいです。女医さんが増えてほしいなと思います。

 それから、面倒くさがって近所の医師にかかって済ませようとすると、ひどい目に遭いがちだと、やっとやっと学習しました。

 幸い、インターネットで細かく名医も探せる時代。情報を集め、それぞれの医師のホームページをよく読んで、遠かろうがちゃんと診てくれると納得できるお医者様を見つけることが大事なのでしょう。

 そして見つけたら、早起きを面倒くさがらず、浮気せずにそこに行くべきなんですよね。私は知らず知らず近さにこだわり過ぎていたようで、それが失敗の元だったと今回振り返ってみて思いました。

 長々と書いた割に、至極当たり前の結論になってしまいました。

 今回はこの辺で。ダラダラにお付き合い、ありがとうございました。