マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

伯父が亡くなって

週末に訃報

 いつまでもずっといてくれるとつい考えてしまいますが、人間生きていればそんなことはないわけで。伯父が金曜に亡くなり、訃報を土曜に受け取りました。

 昼頃には姉からLINEをもらっていたのに、スマホを充電させたままでチェックせず、気づいたら夕方でした。親族が伯父の家にボチボチ集まっているとのことでしたが、まだ仕事の書き物が終わっておらず、翌日の日曜に伺いました。

 伯父は、クーラーでキンキンに寒くなった部屋のベッドに横たわっていました。ぱっと見は、ただ本当に寝ているだけのよう。基本的に愉快で昔からバイタリティーにあふれたタイプで、子どもの頃はよく追い掛け回されましたから(伯父は楽しく遊んでくれているつもり、私は当時は恐怖で逃げ回っていました)、私を驚かせようと元気にわッと起き上がるんじゃないかと・・・そんなこと、ありはしないのですけどね。

伯父の会社でバイトした学生時代

 私が留学前の一時期、夏休みだけだったかもしれませんが、伯父の会社でバイトしていたこともありました。伝票か何かを書きこむのだったか・・・?仕事自体はすごく簡単で、伯母ちゃんがおやつにきれいにスライスして盛り付けた果物を出してくれたり、お蕎麦を一緒に茹でて食べ、おしゃべりしていました。

 伯父の会社近くのホテルのロビーで、いつもよりワンランク上のチーズケーキを食べさせてもらったのも、そのバイトの時だったと思います。紅茶1杯がこの値段?!とビックリして、ケーキの値段を見て更にビックリ。実家近くのケーキ屋さんなら何個のチーズケーキが買えるやらと溜息が出ました。

 全体的にはまあまあ楽しかったバイトでしたが、嫌なのは伯父ちゃんが「これを読め」と本を持って来ること。伯父ちゃんの信仰に関する本でしたので・・・チラッとは読みましたが、「私はこれはいいよ」と断ったのでした。でも伯父もしばらく諦めず、かなりしつこかったです。

 そのバイトも辞め、留学する時には伯父は空港にわざわざ見送りに来てくれたのでしたが、いざ出発の時に「バンザーイ」と大声でやられたのは、本当に恥ずかしくて困りました。

ご近所時代、選挙でケンカ

 結婚してから偶々伯父のごく近くに住んでいた時期もありました。投票所が一緒で、バッタリ会ったりするんです。

 バッタリというか・・・正確に言うと伯父は誰かお仲間を待っている様子でした。投票所入口近くで自転車にまたがっていて、私の姿を見つけると「やあ」なんて声を掛けてくるんです。目が合うと私は気まずくて、挨拶もそこそこに足早に投票所に入っていったりしていました。

 それというのも昔、選挙前になると「○○に投票して」と伯父からよく電話がかかってきていたんです。そこで「私は私が良いと思う人に投票するよ」と言ってケンカを繰り返し、「もうやめてちょうだい」と手紙まで書いて、そしたらその手紙を変に誤解して電話してきて、さらにケンカ。こちらが言いたくない事まで言って、ようやく電話もかかってこなくなりました。

 伯父の息子のいとこは、これまで一切そういう投票の勧誘など私にしたことが無く、だから気持ちよく付き合ってきています。伯父さんとだって、せっかくご近所だったのだから、ケンカなんかしたくなかったのに・・・。

 私には入り込めない信仰もある上に、何でもノルマって友人知人親族を遠ざけますよね。きっと伯父だって私の気持ちは分かっていたはずなのに。

肝臓がんだった伯父の、心の支えは

 お葬式は木曜日です。亡父の時もすぐには予定がつかず、待たされたと記憶しています。その間、父は葬祭場の預かりロッカールームみたいなところで、真っ白のカチンコチンになっていたなあと思い出します。

 伯父は、心臓のステント手術をしたり、最期は肝臓がん。不具合が連続して出てきていたようです。腹水が溜まって、水だから重くて、でも簡単に抜いてもらえたりはできず、伯母といとこが手伝っての寝返りも大変になって。手足も浮腫んで、かわいそうだったと伯母が言っていました。

 あの元気者の伯父が・・・信じられないです。最後に会いに行ったのはステント手術の頃だったから、ご無沙汰していました。こちらの不調やコロナ流行もありましたからね。

 亡くなった伯父の前で、伯母は明るく話していました。伯父が亡くなったばかりで色々とお疲れだったと思いますが、私たちが訪ねていったから気を張って応対してくださったのでしょうね。

 これからガクッと反動が来てしまうかなと心配しつつも、私などが心配するまでもなく、きっと信仰仲間が支えになってくれるのだろう、とも思います。信仰を持つ伯父はきっと救われるはずだし、伯母の慰めにもなるでしょう。

 宗教は、人の弱みに付け込んでくる危険なものだとつい私は考えてしまい、依存するのは危ないと思ってしまいますが、人が最期を迎える時にこそ心の助けになるはずのものです。私は伯父たちの宗教はよく分からないながら、伯父たちのために、是非そうあってほしいです。