マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

伯父が亡くなって

週末に訃報

 いつまでもずっといてくれるとつい考えてしまいますが、人間生きていればそんなことはないわけで。伯父が金曜に亡くなり、訃報を土曜に受け取りました。

 昼頃には姉からLINEをもらっていたのに、スマホを充電させたままでチェックせず、気づいたら夕方でした。親族が伯父の家にボチボチ集まっているとのことでしたが、まだ仕事の書き物が終わっておらず、翌日の日曜に伺いました。

 伯父は、クーラーでキンキンに寒くなった部屋のベッドに横たわっていました。ぱっと見は、ただ本当に寝ているだけのよう。基本的に愉快で昔からバイタリティーにあふれたタイプで、子どもの頃はよく追い掛け回されましたから(伯父は楽しく遊んでくれているつもり、私は当時は恐怖で逃げ回っていました)、私を驚かせようと元気にわッと起き上がるんじゃないかと・・・そんなこと、ありはしないのですけどね。

伯父の会社でバイトした学生時代

 私が留学前の一時期、夏休みだけだったかもしれませんが、伯父の会社でバイトしていたこともありました。伝票か何かを書きこむのだったか・・・?仕事自体はすごく簡単で、伯母ちゃんがおやつにきれいにスライスして盛り付けた果物を出してくれたり、お蕎麦を一緒に茹でて食べ、おしゃべりしていました。

 伯父の会社近くのホテルのロビーで、いつもよりワンランク上のチーズケーキを食べさせてもらったのも、そのバイトの時だったと思います。紅茶1杯がこの値段?!とビックリして、ケーキの値段を見て更にビックリ。実家近くのケーキ屋さんなら何個のチーズケーキが買えるやらと溜息が出ました。

 全体的にはまあまあ楽しかったバイトでしたが、嫌なのは伯父ちゃんが「これを読め」と本を持って来ること。伯父ちゃんの信仰に関する本でしたので・・・チラッとは読みましたが、「私はこれはいいよ」と断ったのでした。でも伯父もしばらく諦めず、かなりしつこかったです。

 そのバイトも辞め、留学する時には伯父は空港にわざわざ見送りに来てくれたのでしたが、いざ出発の時に「バンザーイ」と大声でやられたのは、本当に恥ずかしくて困りました。

ご近所時代、選挙でケンカ

 結婚してから偶々伯父のごく近くに住んでいた時期もありました。投票所が一緒で、バッタリ会ったりするんです。

 バッタリというか・・・正確に言うと伯父は誰かお仲間を待っている様子でした。投票所入口近くで自転車にまたがっていて、私の姿を見つけると「やあ」なんて声を掛けてくるんです。目が合うと私は気まずくて、挨拶もそこそこに足早に投票所に入っていったりしていました。

 それというのも昔、選挙前になると「○○に投票して」と伯父からよく電話がかかってきていたんです。そこで「私は私が良いと思う人に投票するよ」と言ってケンカを繰り返し、「もうやめてちょうだい」と手紙まで書いて、そしたらその手紙を変に誤解して電話してきて、さらにケンカ。こちらが言いたくない事まで言って、ようやく電話もかかってこなくなりました。

 伯父の息子のいとこは、これまで一切そういう投票の勧誘など私にしたことが無く、だから気持ちよく付き合ってきています。伯父さんとだって、せっかくご近所だったのだから、ケンカなんかしたくなかったのに・・・。

 私には入り込めない信仰もある上に、何でもノルマって友人知人親族を遠ざけますよね。きっと伯父だって私の気持ちは分かっていたはずなのに。

肝臓がんだった伯父の、心の支えは

 お葬式は木曜日です。亡父の時もすぐには予定がつかず、待たされたと記憶しています。その間、父は葬祭場の預かりロッカールームみたいなところで、真っ白のカチンコチンになっていたなあと思い出します。

 伯父は、心臓のステント手術をしたり、最期は肝臓がん。不具合が連続して出てきていたようです。腹水が溜まって、水だから重くて、でも簡単に抜いてもらえたりはできず、伯母といとこが手伝っての寝返りも大変になって。手足も浮腫んで、かわいそうだったと伯母が言っていました。

 あの元気者の伯父が・・・信じられないです。最後に会いに行ったのはステント手術の頃だったから、ご無沙汰していました。こちらの不調やコロナ流行もありましたからね。

 亡くなった伯父の前で、伯母は明るく話していました。伯父が亡くなったばかりで色々とお疲れだったと思いますが、私たちが訪ねていったから気を張って応対してくださったのでしょうね。

 これからガクッと反動が来てしまうかなと心配しつつも、私などが心配するまでもなく、きっと信仰仲間が支えになってくれるのだろう、とも思います。信仰を持つ伯父はきっと救われるはずだし、伯母の慰めにもなるでしょう。

 宗教は、人の弱みに付け込んでくる危険なものだとつい私は考えてしまい、依存するのは危ないと思ってしまいますが、人が最期を迎える時にこそ心の助けになるはずのものです。私は伯父たちの宗教はよく分からないながら、伯父たちのために、是非そうあってほしいです。

アセトアミノフェンのチュアブル錠、今のところ咳止めにベスト

春ですね、バスで咳き込みが止まらない

 桜が咲いて、良い陽気ですね🌸目の前の学校の敷地を囲む桜の花が、きれいに咲き揃ってきています。今年はまだなのかな~と待ち遠しく窓から眺めていたのに、咲き始めると早い早い。見ているだけで気持ちも上がりますね。

 うちのベランダも負けじと、種を蒔いたばかりのルッコラが小さい芽をたくさん出し、プランターの茶色の土の表面が一気に新緑の色で覆われました。グレープフルーツの木の芽も、あれよとたくさん出てますね。ガッツリ剪定したのでしたが、それをすぐに取り戻す勢いです。

 暖かくなったことはとっても喜ばしいこと。でも、花粉症だと春を喜んでばかりもいられませんよね・・・。花粉症もかれこれ30年選手なので自分なりの対策はそれなりにありますが、不意も突かれますしねえ💦

 先日も、黄砂が大陸の方から大量に飛んできた日に外出してバスに乗り、途端に咳が止まらなくなりました。久々にしんどかったです。

 気づけば、ちょうど座席の窓が細く開いていたんですね。あいにく風が私に向かって勢いよくピューッと入ってくる位置に座ってしまい、マスク常時着用の私もお手上げでした。花粉と黄砂のダブルパンチのシャワーを浴びた気分でした。

 その日は合唱団の練習で、ノドをケアして当日を迎えたのに・・・諦めて引き返すしかないか😢と思うくらい、咳はかなりひどかったです。

 咳をしながら五十肩の腕をイタイイタイと伸ばしてようやく窓を閉め、深呼吸して水を飲みましたが、咳は中々止まりません。さらに鼻水も涙も。ああ、こういう時に限って手持ちのティッシュが残り少ない~😢軽くピンチでした。

 まわりでクシャミを連発し始めた人たちは、やはり花粉症のよう。お仲間の存在にまさに同病相憐れむ気分になりました。つらいよね~💦

救世主・アセトアミノフェンのチュアブル錠

 小見出しを見て「ここから広告が始まるんだな」と不快に思われた方、嫌だったら読まなくても大丈夫です。特に何も貰っていませんが(広告は入れてます)、ここから勝手にある商品を、私の経験から全力で褒めますので!でも、これ無しではやっていけない程、今、私は気に入っています。

 バスの車中に話を戻しますと・・・咳も小康を迎え、私は更なる惨事を防ごうと自分の「咳止めセット」をサッと取り出し、口の中で溶けるチュアブルタイプのアセトアミノフェン錠「バファリンルナJ」を1錠(100mg)口に入れました。

 アセトアミノフェンですから、カロナールと同じですね。

 いつもお医者さんから頂くカロナール錠は1錠500mgなので、今回チュアブル錠で飲んだのはその5分の1。15歳以上の規定量は1回3錠(300mg)と説明書に書いてありますが、1錠の100mgでも、喉にダイレクトに効いてくれる感覚があって、私には十分に思えます。薬はなるべく少なく飲みたいタチなのでね。

  (ただ、同じアセトアミノフェンの小児用バファリンのチュアブルだと1錠50mgで、これだと大人にはさすがに少なくて効き目がすぐに切れます。味もマズいですし・・・こんなの子どもがかわいそうですよ・・・バファリンルナJの方がマズくない。私ならバファリンルナJを2分割して、子どもには与えたいくらい小児用がマズいです。)

 トローチみたいに水なしで舐められるのに、さすが薬のアセトアミノフェンだけあって、しばらくすればすうっと喉の痛みが落ち着き、咳が止まります。これが、一過性じゃなくて効き目が持続するのも助かります。合唱の3時間程度の練習には耐えますから。

 私の「咳止めセット」には、お医者さんから頂いたトローチや、市販ののど飴、龍角散タブレット龍角散ダイレクトも入っています。こちらは、ムズムズするかな~程度で使うには良く、しばらくは喉も落ち着きますが、咳込みが始まってしまって喉がイガイガ酷くなった場合はトローチ等では気休め。すぐぶり返します。

 咳をとっかかりで止めるのに一番頼りになるのは、今のところはこの、アセトアミノフェンのチュアブル錠ですね。「バファリンルナJ」はパッケージが可愛らし過ぎるのがちょっと難点ですが・・・。他のメーカーでもありますか?

カロナール咽頭痛に効くと知らなかった1年前

 「咽頭痛と咳にはカロナールアセトアミノフェン)を飲めばいいんだ」と耳鼻科で教えてもらったのはちょうど1年前。当時、ブログにも書きましたが(たぶん)、合唱団の合宿の前日にもなって「こんなに喉が痛かったら合宿なんか行けない💦」「行っても歌えない💦」と半泣きで駆けこんで相談したら、あっさりと「じゃあカロナール出しますね」と言われたのでした。

 カロナールって解熱鎮痛薬でしょ?熱を下げるんですよね?と思い込んでいた私は目から鱗が落ちました。確かに「解熱」だけじゃなくて「鎮痛薬」なんですけど、ほんとに誰か早く教えてくれたら良かったのに~と悔しくなるくらいです。

 カロナールは本当に私の咽頭痛には効果がありまして、いつ咳き込みが始まるかもしれない不安な喉のヒリヒリが治まり、解放されます。従って、咳も治まります。これは衝撃。

 でも、1錠500mgを飲んでしまうと喉の痛みを抑えるには多すぎで、「解熱」の効果で体温が下がっちゃうわけです。そこまでの効果は要らなかったのに。

 そこで偶然見つけたのがチュアブル錠。一番効いてほしい喉にダイレクトに効いてくれるし、少なくても効くし、体温も下がらない。単にアセトアミノフェンですから、主治医も「これはいい」と言ってくれました。

チュアブルだからいいんです

 花粉症になって30年超、喘息になって四半世紀超。長年主治医が処方してくださっていたトランサミンよりも全然効きますよ・・・私はトランサミンを飲むとかえって喉が焼けつくように痛くなる時もあり、あまり飲みたくありません。人によって合う合わないがあると思いますが、この1年間試してみて、私の場合はアセトアミノフェンのチュアブルが圧勝でした。

 さて、合唱団の練習場所に着いた頃。チュアブル錠をバス車内で飲んでから1時間経ち、あんなに咳き込んでボロボロイガイガのはずの私のノドは無事に落ち着いていました。歌も3時間普通に歌えて、本当に感謝感激雨あられです。絶賛です。

 この日は、気の毒に、やはり花粉症にプラスして黄砂のせいで症状が酷く、咳が止まらず目も真っ赤になって苦しんでいる団員さんがおいででした。お医者さんに行ったけれど、出された薬が効かないとか。

 軽々しく人様にお勧めするのも・・・と躊躇いましたが、「私の場合、コレが一番効くみたいです」とチュアブル錠をお見せしたら、メモされていました。お医者さんに相談してみてほしいです。

 あの方の場合は、たぶん抗アレルギー薬も飲まないとダメなんじゃ?と素人ながら思いましたが、アセトアミノフェンのチュアブル錠で喉の痛みが多少取れればいいですよね・・・咳が少しでも軽くなれば、ビクビクせずに気分よく歌えますからね!

 そう、私はビクビク歌ってましたからね。チュアブル錠を知る前は。

 このブログをお読みの方たちも、ぜひ各自お医者さんにはご相談いただきたいのですけれど・・・保険では通常のカロナールは出してもらえます。喉の痛みが治まるなら効き過ぎても体温が下がっても全然いいよーという方はそれでOKです。

 が、私のようにチュアブル錠がいい!となった場合、残念ながら、主治医と一緒に探しましたがアセトアミノフェンでは保険対象にはなっていないようでした(もしかしたら探し方が悪かったのか?)。それで、「チュアブルは市販薬を買ってね」と主治医には言われたのでした。

 最近は咳止めが足りないと耳にしますね。前述のように、この「バファリンルナJ」の効能書きにも「咽喉痛の鎮痛」とちゃんと書いてありますから、アセトアミノフェンは解熱剤だと思い込まず、活用したらいいんじゃない?と思います。

 チュアブル錠、便利です✨と書いて終わりたいところですが・・・これで品薄になったらどうしよう。いやいや、ここで書いたからといって、そんな心配は無いですね😅

😞裏切られた大谷選手、こちらまで心痛の1週間

全日本が泣いた、まで行かずとも気落ちしてそう

 特に大ファンでもないのでオーバーな話なんですけれど・・・MLB大谷翔平選手が専属通訳以上に信頼してきたバディの水原一平に裏切られてしまった話が巷を席巻しておりますが、この1週間、私までとっても気落ちして溜息が出ます。ああ、どんよりして心が痛い😞😞😞

 よく「全米が泣いた」というフレーズが冗談まじりに使われますが、「全日本が泣いた」は大げさにしても、「全日本が気落ち」ぐらいは問題発覚以降の空気を見ると言っても良いのかも。そんな気がします😞😞

 「大谷マンダラ」と呼ぶ人もいたと思いますが、今から14年前の大谷選手が書いた、とても具体的で精緻な、彼の目標設定シートを見たことがある人も多いと思います。初めて見た時は、ここまで書いてたんだと感動を覚えました。こんなにしっかりと目標を設定して高校生活を送っていたら、私もまだ少しマシだったのに!などと考え、即ダウンロードしたのでした。こちら(↓)がそれです。

大谷マンダラ

 才能はもちろんあったにせよ、そんな風に努力をコツコツ重ねて今の地位にたどり着いただろう大谷選手が、自分の人生をぶち壊す賭博なんぞに手を出すなんてとても信じられたものではないです。全く合理的じゃない。

 それなのに、大谷選手自身が賭博に関わった疑いの目で見られる事態になるなんて・・・そんな窮地に、日本の期待を背負ったスーパースターを陥れた嘘つきの水原通訳は率直に許せないですね。

 何を急に言っちゃってるの、大谷ファンでもなかったのに・・・とも思いますが、関係ない他人でも、世界に羽ばたく日本の若者に何してくれてるんだ、という私のような憤りは多かれ少なかれ皆さんあるでしょう。「全日本が気落ち」ですからね。

信頼を裏切られたショック

 何よりも、大谷選手は水原通訳を長年信じ切っていたと見えていましたから、それが本当にお気の毒です。言葉が分からないのをいいことに彼を抱え込み、大谷選手の周囲にも嘘をついて回って・・・信頼を置く人から裏切られ、名誉を損ねられるという大ショックに、大谷選手は見舞われているはず。想像するだに、たまらないですよね。

 大谷選手には「不徳」など1ミリも関係ないですが、不徳の致すところの私の場合、他人に嘘をばらまかれて呆気にとられたことが何度かあります。どうでもいい奴に何を言われても、それは私への嫉妬の証でどうでもいいのですが、信頼していた人に周りを嘘で固められた=ハメられた時には、かなりショックでした。

 どうも、最近私に意地悪な見方を言ってくる人が多いなあ、何の冗談だろうと思っていたのでしたが・・・私を信じてくれた人たちもいた一方、多くの人が騙され、嘘を信じていたんですね。

 私が自分の地位を脅かす者と見て(そんな気は全然なかったのに)、邪魔で追い出そうと必死だったんだなと思い、逃げるが勝ちを信じてその場を私から離れましたが、一般人の私は大谷選手のように記者会見もできません。まだ塗りこめられた嘘を信じ切っている人もいるんだろうなと思うと残念ではありますが・・・残念だけどもう関係ないと思いきるしかないですね。

 この大谷選手の事件で、人に裏切られたことがある人たちは、その苦い過去を自動的に思い出してしまって心疼いているのでは・・・私が大谷選手の心痛を思い、溜息の嵐になっているのも、自分で忘れようと思っていた裏切り被害が、まだ癒えていないからなんでしょうね。

大谷選手へのサポートが嬉しい

 新通訳のアイアトンさんは、大谷選手の感情にも寄り添った的確な通訳をしたと聞きます(「英訳がすごく適切で的確」大谷翔平を支える“新通訳”の実力を米出身・早大特命教授が絶賛!「気持ちがこもっていた」「好感を持ちましたね」(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース)。

 記者を前にしての声明の場での大谷選手の表情は、ともすればかなり苦しそうでした。サポートのために監督や数人の選手が立ち会ったというのを聞いて、その友情にこちらまで涙が出そうでした。いい人たち。

 蛇足ですが、「ギャンブル依存症は病気だから、ちゃんと治療に向き合った後には水原通訳にもチャンスを。また大谷選手とコンビを組んでいる姿を見たい」などとコメントしている人をテレビで見てしまいましたが、絶句でした。何言っちゃってるの。傷つけられた大谷選手の気持ちはどうでも良いのでしょうか。

 ギャンブル依存症が病気だろうが何だろうが、それは水原通訳のご都合です。それはそれで治療されたらよろしいこと。でも、加害者がまた被害者を利用して、事件前のようにコンビに戻れると思うのは・・・図々しい以外の言葉が見つかりません。

 そもそも、加害者のカムバックを話す前に、まずは犯罪被害に遭った側の大谷選手のメンタルがしっかり尊重され、ケアされるのが先決。当たり前でしょう。

 どうやって口座から水原通訳が送金したとか、そんな技術的なこともどうだっていい(とも言えないとは思いますが)。単なる窃盗被害とは違い、信頼していた人による被害は被害者には精神的苦痛が大きく、問題は盗られた金銭の多寡ではないと思います。特に大谷選手のような人なら、6億円も一般人の6万円ぐらいの感覚では。

 彼の超人的な活躍を今後も期待するだけに、彼のメンタルが適切にケアされ、ゆっくりでいいから立ち直ってほしいと願うばかりです。ちょうど結婚されて、信頼できる人がそばに来ていて良かった。それが救いです。

毎年の確定申告で体を壊す、もう止めたい

昨年は救急車のお世話になったのでした💦

 今年も3月15日の確定申告の締め切り日がやってきました。私は無事に2日前に済ませて提出し、昨14日はのんびりと休みの家族と買い物なんかに出ました。ああ、何という解放感✨✨✨✨

 でも、ちょっと近所に出かけただけなのに、それだけで疲れちゃいましたねー。今日はダルダルです。遠い主治医に会いに行こうかと思っていましたが(今月で閉院!なので)、受診するのは来週にして、懸案だったベランダガーデニング作業を少しだけ。でも欲張らず、すぐに止めましたよ。

 正月に罹患したコロナ後遺症のしつこい倦怠感を何とかするため、大谷翔平選手に倣って(?)10時間前後眠る長時間睡眠に取り組んでいます。暇があれば昼寝も追加することで、このところ確実に元気感が増しているなと自分でも感じます。毎年恒例「春の不調まつり」も、今年ばかりは軽く済みそうです。

 何がどう元気感が増しているのか?と言われると、具体的には困っちゃいますが・・・フラフラながら散歩に行こうと思えることと、そうだ、髪の毛ゴワゴワが最近は手触りが良くなってきました。お肌も悪くないかな。そうそう、花粉症があまり酷くないです。軽くクシャミが出るくらい🤧この点は前のブログにも書いた通り、胃腸薬を飲んでるからでしょうか。

 そうそう、家族の目にも、病人っぽさが抜けてきたように見えるらしいですよ。そう言ってもらえると嬉しいですね。

迫る確定申告の締め切り日

 ただですね・・・この時期、そんなに眠ってばかりで確定申告の作業が終わるのか、その点は大いに不安でした。

 健康回復には眠らなきゃならないのは第一にしても、確定申告は待ってくれませんからねー(はっきりとした災害や入院ならともかく、こういうダラダラとした体調不良って待ってもらえるのでしょうか? 【確定申告書等作成コーナー】-期限までに申告等ができなかった場合の個別延長 (nta.go.jp))。

 作業が終わるか心配だからこそ、これまでは日数をかけてダラダラやらず、締め切り間際に手を付け始めたら終わりまで、集中力全開で突っ走っていました。ただ不安に突き動かされて物事を終えようとしていただけなんですけど。不安感に頼るなんて不健全なのですが、そんなやり方を毎年選んでしまっていました。

 それが!毎日コツコツと取り組んだおかげで、本当に終わりました。こんな風に計画的に進行できたのは、アラカンにして初めてかも😅

 昨年は悲惨の極みでしたからね・・・確定申告期間に被るとは予想していなかった新たな仕事を抱え込み、その上、確定申告の中で勘違いして全く手つかずだった分野があったんです。それに締め切り間際に走り出す頃になって気づき、まさに血の気が引きました。

 今さらどうすれば?と悩む時間もなく、とにかくネットで調べ倒して必死でイチから計算してゴールに間に合わせたのでしたが(偉い、テープを切れた自分!とその時は感涙😢)、最後の数日は睡眠もほぼ取れず・・・いや、最低3時間は寝たと思いますが・・・これまでになく追い込まれました。

 その結果、数字が得意な訳でもないので、慣れない取り組みで頭がショート。申告書提出後、ハンマーで叩かれるような激痛で気絶するに至ったのでした。こんなの人生初です。それで救急車です。

 そのあたりはこのブログでも「トンカチ頭痛」として散々書いてきましたが、1年経った今もカルバマゼピンとかいう薬をまだ飲んでいる始末です。(暖かくなったら神経痛にも良い環境になるので、そろそろ卒業させてもらいたいなあ・・・。)

toyamona.hatenadiary.jp

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 今回、また確定申告ということで、あの悪夢の再来にならないか、本当に心配でした。一昨日に提出し終わっているのに、家族も大丈夫?大丈夫?と、今朝もまだピリピリムードでした。これでまた倒れたら笑い話にもならないですからね。

 その点も無事に通り過ぎたようなので、感激です😢

 いい大人なのですから、やり方を改めねばなりません。私の問題は、税理士さんにお願いする程の額じゃないからと、確定申告にはずっと取り組んできているのに、毎年同じ個所で引っかかることです。「あれ?どうやっていたっけ?」と。そういったブレーキになる点がいくつかあります。

 それで毎年、「手順のメモを残そう」とその時は思うんですよ・・・それなのに、終わると疲れ切ってしまって、やれた試しがありません。

 その反省の下、今回は来年の自分に向けて、ほぼ殴り書きですがメモを残しました。ここはこうやろうね、こうなったらこうだよ、と・・・まるで小学生みたい。ああ、お恥ずかしい。

 そのメモが生き、来年こそは、健康的な春をバッチリ迎えられるかな?そうありたいです🌸

花粉症のはず、なのに?

舞い上がる花粉が煙のよう・・・💦

 昨日はかなり風が強かったですよね。夜のニュースで見ましたが、東京都八王子市の山々からスギ花粉が煙のように舞い上がり続ける映像は恐怖でしたよ。コロナ後の体調にまだ不安もあり、本来なら出かけたくない1日でしたが、用事があってそうもいかない。風に翻弄されながら、頑張って出かけてきました。

 駅に向かう家々の前には段ボールが出してあって、それを回収車がピックアップに来ていたんですが・・・あちこちに飛ばされている段ボールの多いこと。気の毒に、回収車のおじさんは舞い上がるあれを追いかけて集めるのかな?と気になって、連れに急かされながらも、つい見てしまいました。(帰りに段ボールが落ちて無かったところを見ると、全て回収したんでしょうね。お見事!)

 ご存知のように、もう飛び始めている花粉の飛散量は、強風では絶~対に容赦なく増えます。花粉まみれで泣きたくなかったので、当然に帽子にマスクで出かけまして、鼻には花粉除けのタナールAZ軟膏を塗りました。

 ところが!抗アレルギーの目薬を忘れてしまい、あああ~これでは目は絶対に痒くなるだろうと内心泣きました。メガネ程度で花粉を避けられるもんじゃないですからね。

 でもですね・・・昨日、帰宅してシャワーに直行しましたが、その時に気づきました。あれ?全然目が痒くならなかったねえ・・・その他も、外出中に何回か軽くクシャミが出て1度だけ少し鼻をかみましたが、それだけ。いつもは、シャワー後でも両目が痒いぐらいですぐに目薬のお世話になるのに。

 ビックリ、世の中では確かに花粉症の人たちが強風での花粉飛散に反応しているようなのに、一体何ごとなんでしょうね。

 今日もそうです。通常の花粉シーズンは、朝起きた時点で目は痒いし、鼻が詰まっているのが常の事。下手すると鼻水が枕に敷いたタオルに流れてしまっています(汚くてゴメンナサイ)。それが、先ほどベランダに出て少し作業をしてきましたが、目薬も差していないのに目の痒みは無く、鼻なども大丈夫。なぜ?

 もしも・・・私の花粉症が全快しないまでもかなり良くなっているとしたら、考えられる理由は3つあります。

  1. アレグラからアレジオンに変えた:私はアレルギー体質が染みついてしまっているので、抗アレルギー薬を1年365日、既に四半世紀に渡って飲んでいます。常用してきたのはアレグラ。でも効き目が切れるのが早くなってるかな~😅と感じて、主治医と相談して半年ぐらい前からアレジオンに変更していました。アレグラが悪いとは言いませんが、あまりにも長期間にわたって愛用してしまったので、体が慣れちゃったのかもしれませんね。それで!ニューフェイスのアレジオンが効力を発揮しているのかも!
  2. 整腸剤を飲んで1年オーバー(たぶん):腸の乱れがアレルギー体質には大きく影響していると聞いていたのもあり、いつか整腸剤をちゃんと飲みたいと思っていました。胆石が見つかり、良いきっかけに。石を小さくする効果に期待してウルソデオキシコール酸と、プラスして整腸作用に優れた宮入菌(酪酸菌)のダブルが入っているミヤフローラEXを現在もせっせと飲んでいます。
  3. 鼻には前述のタナールAZ軟膏の他、亜鉛華軟膏も気づいたら塗るようにしているので、最近は鼻(上咽頭?)の炎症が治まっているように感じます。(それと偶然ですが、頭痛やら五十肩の関係で出してもらっていたカロナールが、咽頭痛にも良く効くと耳鼻咽喉科の先生に教えてもらった通り良く効いて、何だかそれも良いような?)

 ・・・考えつく理由はこれくらいです。②腸の炎症が治まり、③鼻の炎症も治まってみると、私の花粉症も下火になるしかなかったかな?なんて。①アレジオンが体質的に合っていたって事だけなのかもしれませんが。

 あ~、是非ともこのまま治ってほしいです!後で泣きを見たくないですね~😅

腕の痛み、ちょっとだけ治ってきたかな

髪を縛ることができるようになりました

 ずっとコロナのことばかり書いてきましたが、今回は別のことを書きましょう。

 コロナは辛かったですが、地味にずっと困っているのが右肩痛と言うか・・・右上腕を中心とする右手の痛みです。本人には本当にそうなのかな?と疑う気持ちが消えませんが、世間的にはとりあえず「五十肩」呼ばわりされています。それが、フト気づけば、ちょっとだけまた良くなってきてたみたいなんですよね。

 そもそもは、昨年秋に薬局でGジャンを羽織ろうとして上腕部の何かがブチッと切れたように感じたのが始まり。そこで整形外科に行き、両腕をバンザイした状態でお医者さんが支えの手を放すと、右腕がイタタタタ!!となって自力では絶対降ろせない、絶望的な痛みを感じたのでした。

 あれは、いつのことだったでしょう?ブログにも書きましたね。

toyamona.hatenadiary.jp

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 それが、数か月たった今では、両腕を挙げても支えること無く、自力で右腕を降ろせるようになりました。他の動きをするとひどく痛むケースもあるのですが、腕を降ろす場合は違和感だけになりました。コロナに気を取られている間に、いつの間にか進歩していたんですねー✨✨✨一歩ずつですね。

 整形外科医には確か筋肉の炎症=五十肩って言われていましたが・・・前述の通り、そうなの?と当初から本人的には疑っていました。だってブチって聞こえましたから・・・😅もしかしたら神経か腱か何かが切れていたのかな?と思っちゃいますよね。

 昔、血ガス検査(だったかな?)をするからと、動脈から血を採られたことがありました。その時のお医者さんが若手も若手、ガチガチのヘタクソで20~30分(!オーバーじゃないです、大体の時間を後で看護師さんに確認しましたから)ぐらいかけても、まともに採血ができなかったんですね。もしかして初めてだったのかも。

 そりゃあ、私の血管が体格の割に細いっていうのもありますが、酷いものです。針を腕に刺したままグリグリ探られ続けて、こちらは気持ちが悪くなって顔面蒼白になりました。

 挙句、採血は失敗とかで、結局その若い先生の代わりに先輩のお医者さんが出てきて、再度血を採りました。あっと言うまでした。

 ですが・・・それから腕がピリピリビリビリと痛むようになったんですね。主治医に話をしたら「本当にごめんなさいね」と若手の失敗を代わりに謝られて、血管を探していた時に神経に傷がついたんじゃないかって話でした。

 「その神経の痛みは半年ぐらいすれば消えるから」と説明されたのでしたが、確かにピリピリの不快な感じが走るのが消えたのは、半年もかからないぐらいでした。そう考えると、今回の右腕中心の痛みも、半年あれば治ってくれるんじゃないかなーと期待していたんです。

 とりあえず私のこの痛みは「五十肩」という話で処理されていますので、それだったら半年もすれば不思議に全部治るとの話もあるので、半年がキーワードっぽいですね。それを待ち、まだダメだったら他の整形外科に行きましょうか。

 痛む場所を正確に言うと、二の腕の内側真ん中あたりが一番痛みます。筋肉じゃない。肩の内側付け根も痛いし、不思議なことに親指の付け根も結構痛むんですよ。そのラインが痛むってことですね。これをつないでいるのは神経とか腱ですよね?

 これが最近になってから夜間痛というのか、寝ていて痛みで目が覚めるんです。前よりも痛むような・・・最近になって痛みを強く覚えるのは何故?腕は降ろせるようになってるのに?

 こういったことを整形外科のお医者さんに聞けば良いのでしょうが・・・コロナで苦しんでいる間に時は過ぎ、今更感もありますし😅発症時に「五十肩」だからと塗り薬だけで帰されて、ちょっと信頼感が薄れてしまっているのもありますね。

 もしかして、数か月経過したから傷ついた神経の修復が進んで、それで痛み信号がよく伝わるようになっているんでしょうか?素人が考えるに。それとも、これまで右腕を大事に大事に寝ていたのに、いつの間にかぞんざいに扱うようになっていたのか・・・💦寝ていると無意識なのでねえ。

 まあ、困ったなあと思っていたのが、ゴムで髪を縛るポーズをするとか・な・り痛むので「髪をまとめられない」だったのですが、今は痛いは痛いなりに、髪を縛る行為を完遂できるようにはなりました✨

 とはいえ、そのポーズはさすがに、まだめちゃくちゃ痛みますけどね・・・痛むけれども地味に困っていたので、髪の毛を縛れて助かりますー。

 あとは、「前へならえ」の一番前の人がやる、腰に手を当てるポーズがきついです。左手ができるようには、右手で腰をつかめません。「前へならえ」するチャンスは滅多に無いから別に構わないのですが、利き手が痛むのは何かと鬱陶しいので、これも痛みなくできるようになってほしいですね。

 あと数か月の辛抱なんでしょうか?早く治りたーい!です。

コロナ後の倦怠感(疲労感)、一進一退です

皆さん苦しんでらっしゃる

 今朝起きましたら、こんな記事が目につきました。寝床でスマホをチェックしたらダメですよね・・・しかし、「コロナ感染で慢性疲労」のキーワードに引っ張られて見てしまいました。

コロナ感染で慢性疲労リスク4倍 米、後遺症頻度高く「予防策を」

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コメント845件
共同通信

 この記事のコメント欄(コロナ感染で慢性疲労リスク4倍 米、後遺症頻度高く「予防策を」(共同通信)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース)を見ると、皆さんが悩んでいるのがよく分かります。長引く倦・怠・感に苦しめられているのは私だけじゃなかったですね。曰く、

  • 私も去年の今頃コロナになりましたが、なんだかすぐに疲れてしまう様になりました。 朝に活動したら、昼過ぎには疲れてヘトヘトに
  • 今まで元気だった私はどこへ行ったの?と悲しくなります。お出掛けやイベントの計画かあると、行けるかな?、身体がもつかな?たのしめるかな?と当日終わるまで不安です。海外旅行も大好きだったのに今は絶対に無理
  • 「予防策を」といっても万全にして家から一歩も出なくてもかかるのでもはやどうしようもないです。 かからないようにも大切ですが、かかった後の対策を国としてもっと進めてほしい

・・・私が気になったコメントの一部を引用させていただきました。ほんとにコレ!と思いますよね~。昼過ぎにはヘトヘトの毎日だし、約束事には行けるかな?体が持つかな?といつも考えて心配です。そして私も家にほぼ引きこもって神経質すぎて呆れられるほど対策をしていたのに、家族がかかってあっけなく感染しました。

 目下最大の悩み、倦怠感は簡単には取り除けませんね。とりあえず、明日はコロナと関係ない遠方の専門病院に通院せねばならず・・・まあ、頑張りましょう!

体力を養うための長時間睡眠、整った食事も

 頑張らないと病院にも行けないって変な話だと思いますが、ホントにそうなんです。主治医が所属するクリニックが3月で閉院(!)すると決まったので行きたいのですが、そちらにもまだ今年に入って行けなくて💦これまで四半世紀お世話になったお礼を申し上げないと・・・そして近隣に、新たな主治医を見つけないといけないです。

 やらねばやらねば、という物事が山積み。サクサク片付けないと、もう確定申告も始まっちゃいましたね!ああ、どうしよう。でも、今日は昨日あった頭痛(右後頭部や左眼球表面にピリッと来る違和感、三叉神経痛のため)が無くてマシのようです。気持ちが先走って焦らないようにしなくちゃね、と書きながら自戒しています。

 ああでも、昨夜から今日にかけては、右肩が痛いこと・・・痛くて目が覚めました。このためにカロナールを飲むと、疲労感が増すような気もしますね。頭痛はこれで消えてるの?どうなんでしょう?

 さて、前回ブログにも医療機関のお言葉を書いた通り、コロナ後遺症を早く治すには急がば回れで「最低でも8時間・できれば10時間・理想は12時間」と長時間ゆっくりと睡眠を取るべきらしいです。だからしっかり寝たいのですが、まあ、これまでの5~6時間睡眠の習慣が災いして、寝よう!と思ってもなかなか眠れるもんじゃないですね・・・😅眠れないままゴロゴロ横になり、朝にもなるから起きてしまいます。

 その分、今日もしゃっきりせずに疲れた1日。朝から全然思うような作業が進みませんでした。夕方に急激に疲労感がMAXになったので横になり、眠れたので、こうやって晩ご飯を食べたりブログを書いたりできるように復活できています。その一進一退ですね。

 こんな感じで、その時にならないと体力が持つのかどうか自分でも分からないようだと予定が立ちません。料理もままならず、私だけじゃなくて家族の栄養が心配ですので、冷凍のお弁当をまとめてオーダーしたのでした。前も書いたかもしれませんが。

 レンジでチンして、ちょっと我が家の味よりはしょっぱいけど、ちゃんと美味しい。今晩は筑前煮と、麻婆豆腐がそれぞれメインでした。家族が玄米ご飯を炊いて、私はインスタントのわかめスープをプラスしただけ。ぬか漬けを出そうかと思いましたが、イヤイヤ、そんな体力は無いからやめておこうと思い直しました。

 ぬか漬けが無くても、管理栄養士さんが監修しているおかずのお弁当があると思うと、ああなんて安心なんでしょう。具合の悪い日は無理せずこれでいいんだなと思いました。 

 これからあとは、いただいたメールに1通返事を書いたら・・・今日ももう横になりますよ!

睡眠の重要性、甘く見てました💦

コロナ感染後の倦怠感、やっぱり寝るのが最強

 先日書いたブログで、コロナ感染後の倦怠感を治すためには「睡眠は、最低8時間、できれば10時間、理想は12時間」がよろしいようだとお伝えしました。その時も引用させていただいたのは、こちらの医療機関「中東遠総合医療センター」が呼びかけている内容です。

www.chutoen-hp.shizuoka.jp

toyamona.hatenadiary.jp

 まったくこの医療センターが書かれている内容には膝を打つばかり。本当にね、その時は動けても、時間差で倦怠感に襲われて動けなくなるんですよ・・・あれ?それはコロナ前からもそうだったかなとポンコツの私は多少思わないでもないですが、とにかく、ぜひこちらの医療機関を受診したい!と思いました。

 ところが・・・調べてみたら、この中東遠総合医療センターは遠く静岡県にあるとのこと。残念、がっかり。せめて、書かれている内容で特にオレンジ色の太字で強調されている部分

  • 休めば休むほど早く良くなる
  • 休憩しながら休み休み動く
  • 十分に回復するまで運動や散歩は控えましょう

・・・の3点を心に深く留め、目安となる3か月間は、多少動けるようになっても決して勘違いせず(既にウズウズしちゃっている自分もいるのですけれどもね)、一般人並みに動かなければならないような予定は作らないように決めました。

 なにしろ、合唱団の今年の演奏会は5月6日にあるんですよ。そこまでには治したいです。歌うことになっている組曲の内容から、是非にと初めて招待してしまった友人もいるので、何とか間に合わせたい、もう練習に行きたいと思ってしまっています。

 それで「早く回復するためにあなたができること」という部分。「できることもできないこともあるなあ」と、都合の良いことを言いたくなる私が顔を出しますが、もう一人の私が「何を言ってるんだ、治るためだもの、頑張ろう!」と言っております。頑張らなきゃ、ということで引用させていただきますね。

【早く回復するためにあなたができること】

後遺症は「病気」です。夜更かしをしてジャンクフードを食べるのと、早寝早起きをして健康的な和食をとるのと、どちらが早く病気が治るかは明らかです。
  • 睡眠は、最低8時間、できれば10時間、理想は12時間
  • スマホやゲーム、PC、TVは就寝の3時間前、最低でも1時間前にはやめてください
  • スマホタブレットは寝室の外に置いてください
  • 避ける、控える : ジャンクフード、ファストフード、脂の多い肉や揚げ物、冷たい物
  • たくさん食べる:野菜(みそ汁や煮物、おひたし、野菜炒めなど、火を通した野菜)、豆腐納豆などの豆製品、魚、海藻、きのこ類、いも類など(詳しく知りたい場合は、「まごわやさしい」のキーワードで検索してください)
  • メンタルを維持しましょう:コロナに感染した後、不眠や気分の落ち込みが続くことは珍しくありません。音楽、人との雑談など、ささやかに好きなことを楽しむ姿勢を持ちましょう。
  • 1日に1回は、1~2分でも外に出て日光を浴びるのもよいでしょう。
  • 専門家の助けが必要だと判断した場合は、心療内科や精神科にも紹介しています。

 ・・・一般的に病後の回復期に守らねばならない事項が並んでいるとは思います。ですが、特筆すべきはこの長時間睡眠の勧めですよ。これが本当にバカにならない、とんでもなく良いと感じます。

 この1週間弱、正確には6夜ですか、10時間~12時間寝るように連日頑張ってきました。でも、今朝はもう8時間寝るのが精一杯で起きてしまいました。昼寝しなくても、今のところ大丈夫みたいです。これまでは10時間前後寝ても、ドロドロと昼寝を求めていたのでしたが・・・。

 そして、こんな風に起き上がってブログが書けております。少し前には、ブログを書いていると、ハッと気づいた時にはどっぷり倦怠感の沼の中にいて、体を真っ直ぐ起こしてシャンとして起き上がってはいられなかったのに・・・。今日はとても調子が良いです。

 これまでも、私は小さい頃から寝不足を自覚して、それでも5~6時間で大丈夫なんだと思い込んできました。過去にそんなブログも書いてますよ。しかし、まさにそれが!それこそが!ポンコツの原因だったかもしれない・・・そんな風に人生を大きく反省をしたくなるくらい、今日は調子が良いです。

 この調子の良さをキープするために、あえてさらに寝ようかな・・・それとも散歩に・・・いや、やっぱり寝よう。寝ることにします!

 

 

 

 

 

90代からの励まし

ポンコツぶりが加速、同世代について行けない

 馬車馬のように今で言うブラック企業で働いた結果、30代で一度とことん体を壊してしまった私。それ以来、ずっと回復には努めてきたつもりでしたが、元気な同世代にはちょっとついていけなくなったなぁとつくづく感じます。

 約束したからと無理して同級生の友人とドライブに出かけ、薬を飲んでもどうにもしんどくなって「帰る」と言いだし、驚かせたこともありました。彼女がノリノリでおしゃべりしている最中だったのに、一挙に興ざめ。悪かったなあ・・・💦

 また、「帰る」と言わないまでも、こちらが最初から具合が悪くなりそうだとビクビクしているのが伝わって、皆に明らかに気を遣わせたり。楽しめないですよね、そんなのだと。

 事前に会うと約束してしまうと「ドタキャンしたらどうしよう」と緊張の日を迎えることになるので、友人の集まりには「申し訳ないけど、行けたら行くねー」と約束をぼかすことが増えました。

 それをやっちゃうと、仕方ないことですが「来たくないんだ」と元気な人から思われちゃってるのをヒシヒシと感じますね。いや、行けたら行くんだってば。

 「行けたら行く」というのは、皆さん大体行けない時の言い回しに使いますが、私の場合は体調によりけり。行けるようだったら本当に行きます。行ったら行ったで「あれ?来られたんだ~」と喜んでもらえるし(たぶん😅)、どちらも気楽に集まれる方がいいんじゃないかな?と今のところ思います。

 そのような私の最近のポンコツぶりは、知人友人には徐々に浸透してきたと思いますが、ポンコツ度はさらに加速しています。数年前だとまだ普通に歩き回れたので友人のセッティングもこなせたと思いますが、膝を怪我してからは行く場所を選ぶようになりましてね・・・歩けるって大事です。

 今の「倒れる前に、元気なうちに帰りますね~」と言わなきゃならないポンコツラカンに丁度いいのは、10歳や20歳上の、一回りぐらい世代が上のお姉さま方とのお付き合い。体力的に無理が無く、私的にはいいペースです。

寒中見舞いへのお返事

 折悪しくコロナになって、おせち料理も捨てざるを得なかったと前回書きましたが、印刷して用意していた年賀状も、書くタイミングを逃して処分する羽目になりました。

 こんなことは初めて。ですから、熱が下がってから一番に手を付けたのは、年賀状の代わりの寒中お見舞いの文を考えることでした。コロナの直撃を夫婦で受けたため、年初のご挨拶が遅れたことのお詫びを書きました。

 寒中見舞いは先週出したので、既に年賀状をくださっていた方々に加えて、今はポツポツとLINEやハガキをくださる方がいます。

 亡父の十歳上の兄である伯父は、電話をくれました。もう90代半ばのはずですが、声もハツラツ。92歳の伯母は毎週3回機嫌良くデイサービスに行っているとか。「お前、いくつになったんかい?アラカン?まだまだじゃないか~」と言われました。

 伯父にそう言われてしまうと、いやホントにそうですよ、と素直に言うしかありません。元気にならなくっちゃ!

 とはいえ、焦っちゃダメ。動いた後しばらくしてズーンと重くやってくるコロナの倦怠感を撃退するには、焦らずしっかり寝る方が、実は遠回りに見えて近道らしいと今日になって知りました。

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 最低でも毎日8時間、できれば10時間、理想は12時間寝てくださいと書いてあったので、それだと今の私は全然足りてませんでした💦早く治すために、意識的に寝なきゃいけませんね。

 先程も、合唱団の美しき先輩(たぶん84歳)が電話をくださいました。私の3倍は元気に颯爽と行動されていて、何かするとゼーハーしている私とは雲泥の差。いつもおしゃれだし、憧れますね。

 良いお手本が身近に居てくださる。幸せなことです。ということで、寝ましょう!

コロナ、ほぼ1か月経過しました

1週間で回復しちゃう人がいる一方で😅

 今さらですが、スマホは便利ですね。布団の中に寝転がっていても、スマホがあればある程度の情報を得られますし、ドラマも見られます。

 元日に発症したコロナで、未だ何か行動すると(例えば、ベランダの放置したプランターからワサワサ育ってしまった春菊を収穫してきたりすると)倦怠感がどっと襲って動けなくなる私には、ある意味社会への窓。本当に便利な道具です。

 ある日、X(旧ツイッターですね)でフォローさせていただいてる方々の中に、今月半ばになってコロナになった方がいて、あ~この方もか!と親近感を覚え、ポストを毎日のように拝見していました。

 その方は、発症初日に吹き曝しの寒さの中で仕事があって、帰途に急激な寒気を覚えて発熱、翌2日目に何件か断られた末に受診できたクリニックでコロナ宣告。その後、詳細な闘病記を律義に毎日ポストされていたのでしたが、1週間でほぼ回復されて仕事復帰したとのご様子で、呆気にとられました。

 1週間って、そんなに早く?!ご無理はいけませんよ・・・💦

 ただ、コロナなのにあんなにも詳細な闘病記を毎日のように投稿できるなんて。いかに病床で便利なスマホがあったにせよ、よくそんな気力体力があったものだと感心しました。

 そもそも地がエネルギッシュな方なのか、それともワクチン接種の効果なのか・・・現在のオミクロン変異株だと、元気な若者は鼻水が出る程度で済むそうな。それでどんどん行動しちゃうからオジサンオバサン世代はうつされて難儀すると主治医が言っていました。

 私は、最初の1週間なんて「このまま死ぬのかな」との考えが薄っすら浮かんで消えなかった頃で、便利なスマホがあっても何かを発信できたのは「コロナでしばらく休みます」という短いお知らせメールを1通、合唱団の団長さんに送れただけでした。

 しんどすぎて飲食もままならず、どうにもならない期間で、どこかに入院させてほしいと本当は思っていたんですよね・・・処方されたコロナ用の抗ウイルス薬ラゲブリオ他を飲んで、目が覚めたら飲むゼリーを口に入れて、とにかく昏々と眠り続けた期間でした。

 ただ、いくらでも眠れたのは本当に助かりました。その間に薬の力を借りて、ポンコツの私の体が一生懸命コロナ相手に戦っていたのでしょうね。

 その最初の1週間は、ずっと頭はボーっとしていて、とてもブログなど文章がまとめられるような状態ではありませんでしたが、ボーっとしていたせいか1週間が速く過ぎたように思えて、気が付いたら、あれもうお正月終わってる?みたいな感じでした。

 姉にLINEでSOSを出せたのも、ちょうど1週間を過ぎていた頃だと思います。まだ全然食欲が湧かずに、でも姉から送られた良いお肉は家族が喜び、私も「美味しい」と感じて食べることは出来ました。そこ辺りで「もう死ぬことは無さそう」と思いました。

ドンとこい倦怠感!

 もう元日に発症してから今日で30日。正直、まだあまり食欲はありません。無理やりにでも、まあまあ食べられるようになっていますが、美味しく食べられているかというと疑問だし、食べた後にちょっと変な感じ・・・胃腸の働きがまだ戻っていないのかなと思います。

 それと、喉がイガイガ痛み、痰が絡みます。喘息はまあまあ。寒いですから、やはり明け方に咳は出ますね。歌は音程がフラフラ定まらず、まともに歌えません。合唱団復帰はいつになることか。

 倦怠感はしつこくあります。食べた後、薬を飲んだ後、行動した後にドッときてます。でもしばらく横になれば、また動けるようになります。

 ネットで読んだところによると、私のようにラゲブリオなどの抗ウイルス薬でコロナを治すと、倦怠感が後から発現するケースがまま見られるみたいですね。でも、ラゲブリオを飲まないではマジで死んでたかもしれない身としては、少々の倦怠感は仕方ない!ドンとこい!という気になっています。

 この1か月はネットスーパー(救世主でしたね)に頼りっぱなしでしたが、今日は、コロナになってから初めて、近所のスーパーへ歩いて行ってきました。

 このスーパーに最後に行ったのは12/30のこと。えっちらおっちらお正月の買い出しの大荷物を抱えての帰り道に、「コロナになった」と家族から報せが来て、ああ万事休すだと天を仰いだのでした。

 その時パッと走馬灯じゃないけどアレコレ頭を過った通り、この1カ月(死にはしませんでしたしラッキーなこともありましたが)やっぱりのまあまあ酷いコースを辿ってしまいました。

 元々がポンコツで、ワクチンもドクターストップで接種できなかった私が、コロナに感染したらどうなるか。主治医も心配していた通り、火を見るよりも明らかでしたからね。

 1か月前のあの日はたくさんの買い物をしていましたが、年越しそばも食べられず、おせち料理を捨てることになるなんて思いもしませんでした。大食い夫婦なのに、結婚以来、空前絶後の出来事です。

 その日に先にコロナを発症した家族は、しばらく前から普通に毎日を送っています。彼なりの努力もあるものの、その回復力はめざましく、正直羨ましいです。

 今日、1カ月ぶりのスーパーへの道のりは遠く、自分でもこんなに覚束ない歩き方をしているなんて困ったなと思いました。

 最近は、ラジオ体操の第一と第二を毎日、他にも室内でできる運動はしていたつもりでしたが、体力の低下は否めませんで・・・でも家族とスーパーで合流したので、安心。ふたりでのんびり歩いて帰ってきました。

 帰宅してシャワーに入ったら、もう体力が持たずにバッタリして晩ご飯は作れないだろうと思い、握り寿司と鉄火巻きのパックを買ってきたのは大正解。その後、お寿司パワーでムクムクと復活でき、こうやってブログも書けていますが、まだもうちょっと倦怠感は付いて回るんでしょうね。

 体力作りも、近所の散歩からでしょうか。毎日、目の前の中学校のまわりをグルっと2周歩くだけでも良さそうじゃない?と家族は言います。私としては、もう少し足を延ばして地元の神社にはお参りに行きたいところですが・・・膝の関係で、5000歩以内に収めないといけないので欲張りはいけませんね。

 遅ればせながら、2月からは今年の計画も色々と軌道に乗せたいです。節分👹で豆を撒き、気分も一新!といきたいですね。福は~内!

コロナ、長かった~😢まだ倦怠感アリ

ようやく寝たり起きたり

 2024年は大変なスタートになってしまいましたね。能登半島地震の惨状に「ああ、あそこは旅行でお世話になった場所だ」「珠洲市の病院にもお世話になった」「輪島で買った塗りのお椀とお匙、うちのレギュラーになってる」と、こちらも熱にうなされながら、テレビを眺めていました。

 私が新年早々うなされていたのは、昨年末に家族がかかってしまったコロナが感染したからなんですが・・・やっぱりね、恐々看病していましたが、時間の問題でした。同居している家族ですからね、私が無事でいることはできませんでしたよ。

 気づけば1月がほぼ終了。倦怠感がまだ凄くて、思うように動けません。何かをすると疲れ果て、バッタリ数時間横になる始末。だから、あちこち掃除したくて、夢にまで見ました。

 夢の中の私は、元気にバケツを持ってベランダに出て、窓や手すりを拭いていました。体調がしっかりしたら、まずはハタキを盛大にパンパンかけて、濡れ雑巾で家内外をまるっと拭き掃除したいです。

 感染前、マスクをして消毒はしていたのですが、手袋やビニールエプロンまではしていませんでした。ビニールの合羽を着ればいいと思っていたのに、いざとなると頭から消え、そのまま直接病室に入って物を届けたりしていたのだから💦失敗でした。

 部屋の前に必要な物を置いて、直接会わずに私が居なくなってからドアを開けてピックアップしてもらう、間接的なやり取りにしたら良かったのかなと、今さらながら思います。

 今後、もしコロナに家族が感染したら、虚弱体質でポンコツ人間の私はどこか近くの宿泊施設に逃げたほうが良いねという話になりました。

また救急車で運ばれた

 さて、元日に熱が出始めてからの話です。38から39℃の間をうろうろしていると思ったら、翌日夜には急激に熱が上がったのか椅子ごとバターンと倒れ、気を失いました。

 自分では椅子に座って熱を測っていたつもりでした💦気づいたら家族は「死んじゃうの?死んじゃうの?」と耳元で大騒ぎ、「え、そんな訳ないじゃん」と思っただけだったのか口にしたのか分かりませんが、まさかの、昨年3月に続けての救急車と相成りました。

 家族がまだコロナ発症中なので、私ひとりで3次救急のK病院へと搬送されたのでしたが、検査ですぐにコロナと判明、呼吸器疾患もあってハイリスクとのことで、コロナの抗ウイルス薬・ラゲブリオを処方して貰えたのでした。

 私が小さい頃からインフルエンザの予防接種もドクターストップで受けられず、今回のコロナも主治医が「責任が持てない」と言ったので予防接種抜き、それでほぼ引きこもり生活を送ってきた(コーラス以外)という話に、K病院の看護師さんはいたく同情してくださって、心の痛みも多少癒されました。

 それに、今回また救急車で・・・と恐縮したら「呼んでいいんです、何かあったらすぐに救急車を呼んでね」と力強く言っていただけて、泣きましたね。

役に立たなかったコロナダイヤル

 落ち着いてからタクシーで帰宅、それからは自宅でバッタリ。ラゲブリオのおかげで熱は下がる方向になってきたものの、水は飲めても全く食べられない。これでは体が弱るばかりだと困りました。

 それで、3次救急の搬送先以外に他の療養先は無いものかと、自治体の24時間やっている相談ダイヤルをネットで見つけて電話。体力と時間の無駄でした。

 肩で息をしながら机につかまって一生懸命電話したのでしたが、本当に使えなくてガッカリ。「正月もやっている入院施設のある医療機関を教えてほしい」とお願いしたら、近所の明らかに入院できないクリニックを3つ紹介されたのでした。

 若手の職員が頑張ってくれた感はあったのでしたけどね・・・正月早々、時期が悪かったです。「もしもコロナになったら」というシミュレーションが崩れ去り、困ったら保健所に相談すれば大丈夫だろうとの思惑は外れ、本当に運が無かったです。

 若手職員は、長々と言い訳にしか聞こえない決まりきった説明だけは次々と読み上げるんですよ、「こちらのダイヤルでは~しかできません」みたいな。それを電話の先で、患者が倒れそうになって聞いているとの想像力は無さそうで。

 お仕事を一生懸命されたのだとは思いますけどね・・・💦誰のためのダイヤルなのか考えてほしかったですね。

栄養補助食品のゼリーとカレーで生き延びた

 入院できず、食欲がないので、水だけ飲んでいたら治るものも治らないと家族がまた心配して騒ぐので、騒がれてもどうしようもないと困りました。

 とにかく栄養補助食品の「インゼリー(これって、ウィダーインゼリーって名前じゃなかったですか?)」を防災用にまあまあ買ってあったので、それをさらに追加注文し、ラゲブリオなどの薬を飲み、これまた防災用に置いてあったレトルトカレーを食べて、徐々に徐々に回復してきました。日々をとにかく寝てやりすごし、25日間が過ぎたという感じです。

 このカレーが、カタログギフトで選んだ頂き物の帝国ホテル製だったので、とても美味しくて、飽きずに食べ続けることができました。最初は1袋を1人で食べ切れず、半分がせいぜいでしたけどね。これはまた自分で買いたいです。

 一足早く家族が回復し、私もノドの不調が残っていますが寝たり起きたりの「起きたり」の時間が増えてきています。まさにウチに取ってはコロナ災害でしたが・・・本当に震災に遭われた北陸の皆さんは、心身ともにもっとしんどい思いをされている訳ですよね。コロナ感染も被災地で増えているとのこと、心配です。

 本当に、2024年は何という年の始まりだったのでしょう。得体のしれない、恐ろしい気にもなります。先が思いやられますが、何とか1年頑張って参りましょう。

まさかの年末コロナ

あと2日だったのに~

 五十肩でイタイイタイ言っている場合じゃない年末。色々とやらなければならないことが目白押しですね。窓も拭きたいのに、あっちもこっちも掃除したいのに・・・しかし、右手を前方に伸ばす動作が痛いので、無理しないことにしました。来年でもできるさ!(左手でもできるさ?)

 近所のスーパーに買い出しに行き、えっちらおっちら重い荷物を痛く無い左肩にかけて歩き出したら、家族からLINEがピロピロ何回も鳴っています。「仕方ない」と、途中で荷物を下ろせそうな場所を探してスマホをチェックしたら、「コロナに感染した」というショッキングなお知らせが。あわわわわ!と息を飲みました。

 12/30の昼下がり、あと今年も2日間・・・というか正味1日半ですよ、ここまできてコロナですか!そうか~!

 今日は職場でささやかな忘年会があるから、遅く帰るねと言って朝出ていったのですが、その時には既に喉が痛いと言っていました。それで、私の「喉が痛い時セット」から、龍角散タブレットやら、喉スプレーやら、最近のお気に入り「闘うマヌカハニー」のど飴も提供して送り出したのです。

 でも、コロナとは全然考えてもいませんでした。喉の使い過ぎだろうと、てっきり思っていたんです。甘かった!

 帰宅して、シャワーに入って、ホカロンを背中に2枚貼って、布団をウォークインクローゼットに運び込んで寝ています。追加で毛布と湯たんぽのリクエストがありました。家の中ですが、必要があればLINEが来ます。

 あまり様子が分かりませんが、食欲は無い様子。おかゆとプリンを「全部食べられなかった」と言っていました。熱も38.5℃に上がってきたそうです。これから大変なのかな・・・💦

 色々消毒して回りましたけどね、こればっかりは、同居しているんだから時間の問題、私もうつっちゃうような気もします。マスクはしています。

 _| ̄|○ああ、ここまで罹らないできたのに・・・という気持ちも正直無いわけじゃないですが、家族もちゃんと消毒とか手洗いとかやってたのでね、毎日出勤はしなければならないし、年末で仕事が立て込んでましたし、それでここのところ疲れた疲れた言ってましたからね、かわいそうですよ。やっと休みに入るところだったのに。

 私も、濃厚接触者となった呼吸器疾患持ちなので、背中にホカロンを貼ってそろそろ寝ようと思います。飲む点滴との呼び声も高い甘酒も飲んで、体力温存。それしかないですよね!

 なぜにホカロン?と思われた方、熱が出そうなゾクゾクする時にホカロンを背筋に沿って貼ってみてください。自分の体力をわざわざ使って熱を出さなくても、ホカロンが体温を上げてくれるからでしょうか、比較的体力の消耗が防げるような気がします。

 単なる素人のおススメで恐縮ですが、やってみるなら低温やけどにはよくよく気をつけてトライしてみてください。

 では、今回は2023年の振り返りも書きたかったですが、短めに失礼します。読んでくださってる方、健康には気をつけて、良いお年をお迎えくださいませ。

クリスマス公演を前に、パサパサキシキシ髪が気になる

元気にクリスマスのボランティア公演に出られそうです✨

 おかげさまで、このところ体調は安定しているようです。肩痛で気を抜くとイタタタタとなったり、合唱団によるクリスマスのミニ公演(高齢者施設へのボランティア訪問が、今年やっと解禁)に向けて慌てて連日自習したりでノドは痛いですが、トンカチ頭痛もほぼ影を潜め、喘息もまあ大丈夫。このまま新年へと行きたいものです。

 本当に、バスの移動中にも完全にへたばらずに済んでいますしね・・・乗ったら最後、死んだように寝てしまうこと度々でしたが。先日、電車の中で妊婦さんに席を譲ったらかえって恐縮されてしまいました。いやいや、日本の未来を担う大事なお子さんがお腹にいるんだから、大切にしてもらわないと。

 合唱団でも「最近お元気そう、良かったね」と先日声を掛けていただきました。ハイ、今年は飲む薬も新たに2つ増えてしまいましたが、なんだかんだ持ちこたえて12月を迎えております。ありがとうございます。幸せなことです。

 さて、コロナ禍中は、高齢者施設への出入りも面会も制限されていた有様ですから当たり前なのですが、毎冬恒例のクリスマスミニ公演も、しばらくお呼びがかかりませんでした。冬と夏にも、合唱団の有志でお伺いしていたのですが、寂しいものですね。

 それがなんと!今年の冬は復活することに。何年ぶりでしょう。しかもマスクを取って歌っていいとのことで、え?そこまで大丈夫?と、こちらの方が半信半疑です。

 ミニ公演はこの週末です。歌うのはクリスマスソングと懐メロが中心。「みなさんご存知でしょうから大丈夫ですね」と先生はおっしゃって、確かに皆さんは余裕しゃくしゃくのご様子ですが、パートを移動した私は、現在のアルト担当のハモりがわかりません。青くなって大慌てで自習しているところです。ブログを書いている場合じゃないですね。

 しかし、「ジングルベル」など有名どころの曲は、メロディが強固に頭に入っているだけにハモりが覚えられないもんですね😅いざとなったらメロディを歌っちゃえ!そうするしかない!と諦めています。

クリスマスの赤い衣装も準備OK

 そして、公演に参加するとなったらまず要確認なのが衣装です。クリスマス用の赤いドレスを久しぶりに着てみましたが、ジッパーもどうにか上がり、サイズの方はどうやら大丈夫そう。ホッとしました。

 このドレスは、元々は何しろビンテージと言っても良いくらい、昔に買った物で・・・弟の結婚式に身に着けたのは覚えてますね。しばらく着もせず箪笥の肥やしになっていましたが、「そうだ!あれってクリスマスのためにあるような衣装じゃないの」と思い出し、クローゼットから発掘したのでした。

 しかし、着てみたら案の定ピッチピチで・・・💦その時はもう50代も半ば、仕方ないです。若かった昔は、私も細かったんだなと恨めしく思いました。

 と言いつつ、試しに前後のタックを解いてみたら十分に緩みが出て着られたんです。アンサンブルの緩めの上着があるので、タック痕も体型も隠せて何の問題もありません。ということで、今やクリスマス公演での定番衣装になりました。何が活きるか、分からないものです。

 この衣装は年1回のクリスマス公演でしか着ていませんが、古いし、よくよく見ると、もう生地も弱くなっている部分があるみたいです。そういうところは手触りが悪いですね。サイズの問題だけじゃなく、そろそろ引退させないといけないかもしれません。

 締め付けが全く無い形(前述のようにタックも解いちゃったし)で、上着で寒さを防げるし、楽で良かったんですけどね~。できるだけ引っ張って、着倒したいものです。

ボサボサ髪にあんず油、いい感じ

 ミニ公演にも参加するので、少し気になっているのが髪の毛です。ボサボサとパサつく髪ではどんなに明るい衣装を身に着けても、ちょっと見劣りしますから。ヘアケアらしいものはまともにしてこなかったので、今頃になって何とかしなきゃとこれまた焦っています。

 体調が悪いと髪の毛って如実にパサパサボサボサしてきますよね。だるい上に、お手入れなんぞできなくなりますし。そしてあれこれ注文が多い体質なので、美容院へも足が遠のき困ったものです。今だと、咳き込んでしまうと自他ともにかなり居心地が悪いですからね。

 公演本番は、なるべくオイルをつけて後ろに1つでピッチリ縛ってしまえばイヤリングも映えるし、そうしようかなと思うものの、右肩が痛いせいで腕が上がらず縛れないんですよ。トホホです。誰か、縛ってくれませんかー。

 普段のケアも自己流ですが、下手なものを使うと、喘息やアレルギーを悪化させて無駄に捨てるだけ。簡単にはヘアケア用品には手を出せない悩みがあります。つまり、体調が悪い間は特に、髪問題は多少悩みながらもほぼ放置状態になりがちです。

 最近の「グレイヘア」という言葉で居心地も良くなりましたが、白髪まじりの胡麻塩頭でも、少しくらいツヤのある髪に戻りたい。そこで、8月の化学物質過敏症関係のブログで書きましたが、近所のコープで見つけた「あんず油」を使い始めたのです。

 そうそう、「香りが厳しいかな、ダメだったら使うのやめよう」と思いながら、最近トライしてみた物があるんです。柳屋の「あんず油」なんですけど。髪と体に使えるボタニカルオイルってことで・・・もう髪の毛がバリバリで限界だったので、何かないかと探していて、コープで見つけて直感で買いました。

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 コープの、というか柳屋の「あんず油」を使うようになってから、バリバリで限界だった髪の毛も多少落ち着いてきたような気がします。キューティクルの「天使の輪」のような光には程遠かったですが、先日ドライヤーをかけ終わった時に、もしかして?という輝きの「か」の字くらいは感じました。

 ただ、オイルをどの程度使ったらいいのか、まだイマイチ把握できていません。基本的に洗髪後に4滴馴染ませ乾かすぐらいが適量かなあとは思いますが、ちょうどいい日もあれば、足りなくてパサつく日もあるし、そうかと思うとしっとりし過ぎたという日も。今日の4滴は、しっとりし過ぎたみたいです。

洗い過ぎては自前の油が切れる

 それから、バサバサバリバリ髪を卒業するために、テレビで見た「湯シャン」もたまに取り入れています。お湯だけで髪の毛を洗う事なんて考えてもみませんでしたが、いいみたいです。

 リッチなコンディショナーの恩恵にはあずかれない身でも、視点を変え、自前のオイルを大切にするため、シャンプーは1日おき、連日で洗う場合は湯シャンに止めるようになりました。

 考えてみると、昭和の子どもの頃は、毎日髪の毛を洗う習慣など一般的にありませんでしたよね?キョンキョン小泉今日子)が宣伝したスーパーマイルドシャンプーが打ち出していた、毎日洗ってもスーパーマイルドだから大丈夫!みたいな視点は当時、新鮮でした。

 その後のシャンプーは、朝シャンブームもあったし、皆スーパーマイルドと言わなくたって毎日の使用に耐える商品になっていったのだろうと思うのですが、洗われる側のこちらの方が、そんな若い頃と同じ調子でガンガン洗ってたら耐えられなくてダメだってことに気づきました。

 こちとら今やアラカンなんだもの、油切れしちゃう。髪の毛がパサパサキシキシしちゃうのは洗い過ぎですよね。

 今日の髪の毛は、先ほど「しっとりしすぎ」と書きましたが、昔、健康だった頃の髪と比べると、やはり髪の芯にパサつく空洞的なものが残っているような?完全に健康な髪だった頃の手触りとは違いますね。

 ただ、お手入れ不足を解消していけば、もう少しツヤのある髪にはなってくれそう。化学的なニオイは困りますが、「あんず油」の自然な甘い香りなら全然OK。ホワ~と、とてもいいです。自然派でちょっと頑張ってみますか。

 自然といえば、昔の人は糠を使って髪を洗っていたとか。糠は、糠袋に入れて体を洗ったことはあります。祖母の家でだったか・・・もう、糠袋なんて見なくなりましたが、今考えると体にも髪にも良さそう。

 お馴染みの人気YouTube動画を拝見して、ベランダガーデニングで糠を取り入れようと思っていましたので、糠パックあたりから始めてみましょうか?慣れないし、ちょっと勇気が要りますね😅

 

なぞの筋肉痛

目覚めたら、強めの筋肉痛が~💦

 なんででしょう。朝、布団の中で目が覚め、起き上がろうとしたら両脚の腿裏・ハムストリングス(?たぶん)の筋肉痛が酷くて、とても焦りました。ウワワワワ、と誰かに聞かれたら目を丸くされそうな声が思わず出て、そろそろと起き上がる始末でした。

 しかし、なんで痛いのか、全然覚えがありません。腿裏がこんなに痛いなんて、ぎっくり腰にでもなったら困っちゃいます。まあ、先日の寝ていて股関節がいきなり外れた脂汗が出るほどの痛みに比べたら、可愛いものですけどね。

 最近、五十肩のせいで運動不足が続いていた自覚はあったのですが、ラジオ体操をしたり、全身バンザイ60回(これ、YouTubeのショートで見かけて始めたのですが、軽く息が上がる程度にしんどいです。つまり、アラカンにはなかなか良い運動です)は、ほぼ毎日続けていました。昨日、特に変わったことはしていないんですけれどねえ・・・。

 結構な痛さなのでほぐした方が良いかと、床に座り、フォームローラーを腿下に入れてゴロゴロしました。これも、五十肩のせいで両腕で体を支えるのが難しいので、最近はごぶさたでした。イタタタタ!と悲鳴を上げながら、でも多分これが一番効くのでガマンガマン。

 なぜこんなことになったんですかね・・・全身バンザイの時に、内股になっていては股関節や膝に悪いと考えて、カエルを意識してガニ股にしていたのが影響したんでしょうか・・・なぜだ。

 ここまで書いて、昨日、いつもと違うことをしたことに気づきました。ラジオ体操の第2までやってみたのでしたが・・・それって関係ありますか?まさか💦

 「ラジオ体操は真面目にやるとすごくいい運動になるよね」と毎朝公園に通って仲間とラジオ体操をしている知人からも聞いたこともあり、「よし、私もやるぞ!」と触発されて取り組んでいるつもりです。

 ただし、ここのところ「ちょっと肩が痛いから」とテキトーにやっている感も否めなくて・・・昨日は肩が痛くならない範囲まででしたが、指先まで意識してキッチリやったのでした。

 それで、勢いに乗って珍しく第2体操もやりました。子どもの頃に、第2は割と好きだったので覚えています。ああ、もしかしたらあのドンブラコ~みたいな感じで、勢いをつけて前後に腰を曲げたり伸ばしたりをするパートですかね?腰から腿裏が伸ばされた感覚は確かにありました。そこが筋肉痛に影響したかなあ。

 でも、たったそれだけで?他に変わった行動は思いつかないので、そういうことですか?恐るべしラジオ体操・・・😅

 まだ、夜になってもギクシャク歩いています。イタタイタタ言いながら、多少丁寧にストレッチして、五十肩で整形外科で出してもらったゼスタッククリームをちょっと塗って、寝ます!

 明日の朝が心配ですね~💦どうなってるんだか。

 

病院には、明るいうちに行くべきですよね

いつかは手術なんでしょう😢

 昨日、久しぶりに気合を入れて、早起きをして大きな病院に行ってきました。この1年悩んできた、思い出したように疼いてくる胆石症の関係です。何とか手術を避けることはできないか、そのご相談をしたいと思い、主治医にこの医療機関の消化器内科に紹介状を書いていただいたんですね。

 それで、私の胆石を体の外から何か(何でしょうね?)を照射して砕くことができないかとの必死な思いは・・・結論から言うと、砕け散って帰ってきました。えーん。この病院では膵石は体外から砕くらしいですが、胆石は対象じゃないそうです。他でやっているところも知らないとのこと。残念。

 つまり、いつか手術はしなければならないみたいですよ。とりあえずウルソデオキシコール酸を飲んで様子を見ることになりましたが、胆嚢炎とか胆管炎とかの方向で説明をされまして「今後、悪化したらまたこちらにご相談くださいね」とのこと。悪化したらこちらで手術、ということでしょうね・・・💦

 その間は、紹介状を書いてくれたクリニックの主治医からウルソを出していただくことになります。でも、主治医は呼吸器内科の医者なんですが、無理筋じゃないのかしら?まあ、そのようなお手紙をこの病院でいただいて、主治医に渡すことになっています。

 良いことと言えば胆石が大きくなっていなかったこと。むしろ小さくなっていたんですよ。1年前には14.7mmだと言われたのが、今回ははっきり教えて下さらなかったのですが、11-12mm 程度だったらしいです。

 当然「小さくなってる!」とこちらは小躍りしたのですが、「いえ、それ誤差の範囲ですから。人間が測るものですから、向きもありますし、これぐらいの差が出ることもあります」とのこと。なーんだ。

 せっせと消化器病学会おすすめのコーヒーを飲み、ウルソも医師が処方する量からすると微量ながら市販薬を飲んできたので、溶けたのかと思ったのですけどね・・・あんまり喜んでる場合じゃなかったらしいです。

 それに「コーヒーって関係ないんじゃ?」とも言われちゃいました。えー?そうなんですか?

 まあ、大きくなっていなかったのは良いこと、それだけは喜ぶことにしましょう。

まだぐったりです

 ということで、昨日は1日まるまる時間を通院に取られた格好で、今日もまだ元気が出ません。朝出かけて、帰宅した時にはもう暗くなっていましたからね。

 先週の土曜日に、五十肩の痛みを緩和するためのカロナールが効きすぎて体調がおかしくなったのですが(ちょっと飲む時間が接近しすぎていました)、日曜日のコーラスには体調をだましだまし出かけてしまって回復しないまま。そのドンヨリのまま昨日の通院に突入したのでしたが、その間、きちんと食事が摂れていませんでした。

 土曜日に気持ちが悪くなり、日曜日は朝からあまり食べられなかったのに加えて、コーラスの練習は夕方からなので食事のタイミングが無く、夕ご飯をつい抜くことが多いのはいつものことです。

 歌う直前にはそんなにお腹に入れられないし、終わって帰宅すると午後10時を回ります。手洗いうがい鼻うがい、それにシャワーを済ませると11時ですからね。それでも、翌日は検査を控えて朝から何も食べられないので、寝る前に納豆ご飯を軽く1杯食べました。 

 昨日の月曜日朝は、以前「水も飲まないで来て」とエコー検査の前に言われた経験があったので、最小限の水で他の薬だけ飲んで病院へ。採血とエコー検査にたどり着いたのが朝から待って11時過ぎ。水と、ウィダーインゼリーを飲んで何とか胃をごまかして、診察・お会計・お薬処方を終えたのは2時でした。

 ただでさえ検査の日は空腹でフラフラヘロヘロになるのに、前日からほぼ食べていなかったのが堪えました。こうなったら病院のレストランでランチを食べよう!と思ったのでしたが、思いのほかお高くて、さすがに断念。それにそんな量はとても食べられません。

 カフェもあったのでそこでサンドイッチを、と思いましたがスタンドがあるだけ。あいにく食べる場所がありませんでした。

 「仕方ない、駅に直行しよう」と決め、駅のコメダに入ってようやく落ち着けました。ただ、お預けを食った胃はムカムカしちゃって一挙にたくさんは食べられません。好物の味噌カツサンドもこの日は諦め、でも、少しでも動物性たんぱく質を、と考えてホットドッグにしました。

 長時間お預けの後、チマチマ食べたホットドッグは美味しかったです✨

 夜は自宅で食事を作って食べることができましたが、週末からの薬効き過ぎのインパクト+食事お預けのせいで、いつもの通院にも増して疲れました。

 今日はしっかり食べましたが、まだ、シャキッとは程遠い感じしかしません。疲労感が残っているので、ホットカルピスでも飲んで、早く寝たほうが良さそうです。

昼間の病院で気づいたこと

 そうそう、大病院にお世話になったのは今年の3月の救急車騒動以来でしたが、朝~昼間にかけて見る病院と、夜中~明け方の病院では全然違って見えました。

 一番の違いは人の多寡。当然ながら昼間は患者さんもスタッフも数が多いですね。3月の夜中の病院では検査のために廊下をひとりトボトボ歩いていく間に誰ともすれ違うこともなかったので、それを思い出して別の風景に見えました。

 それに朝~昼間は、病院のスタッフに笑顔がありますね。皆さん忙しいなりに早口でも明るくて、夜とは全然違いました。

 夜はこちらが激痛に見舞われて苦しんでいたのでスタッフの無口はあまり気にもなりませんでしたが、気が付いてみると昼間の皆さんはこんなに明るくて、丁寧で多弁だしユーモアもあるんですね。薬局のおじさんが、お薬手帳にシールを貼ってくれる様子もどこかユーモラスでしたよ。

 やっぱり、夜になればスタッフも疲れているんでしょう。昼間にあった余裕も消え失せ、黙々と職務を全うしているんでしょうか。病院には昼間に行くべきですね。

 先日も、クローズアップ現代で医療スタッフの長時間勤務を取り上げていましたが、私が頻繁に入院して病棟の牢名主みたいになっていた頃と、まだあまり変わっていないらしいのが残念です。

 あの頃、主治医のアトピーが日に日に酷くなっていったのが分かりました。いつ寝たの?いつ帰宅しているの?というくらい、いつも院内で姿を見たので、こちらが心配したものでした。

 病院の働き方改革、いつになったら実現するんでしょうね。きつい長時間勤務から解放されることが、患者の幸せでもあるような気がします。