マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました。セカンドライフ、移住します。

回転性めまいとサヨナラ?私の場合

個人的経験です。慎重に書きます

 前々回にPPPD(ふわふわめまい)を頸椎専門のカイロプラクティックに診ていただいて改善してきている話を書いた中にちょっと触れたのですが、昨年春に回転性めまいが誤魔化せないほどに悪化して、世の中のコロナそっちのけで「私はもう一生寝たきりなのか」と泣いていた時期がありました。

 それが、今はもう回転性めまいの心配を全くと言っていいほどせずに、日常を送れるようになっています。正直、信じられないです。

 いや、でも、毎年の鬼門である8月を経過してみないと「私、回転性めまいは治ったよ♪」と断言しにくい気分も、まだ自分の中にはあります。真夏から秋、さらに大寒から春にかけての時期が、いつも悩ましい私のグルグルめまいシーズンでした。

 さて、「寝たきりになってたまるか」とジタバタし始めた昨年、めまい嘔吐に悩みながら改めて調べたら、めまい治療については、まだ様々な議論が医師の間で戦わされている様子であることがわかりました。

 専門家間で意見が違うのでは、患者は困りますが・・・。

 でも、はっきり言って「治ればどっちだっていい」が私の本音です。とはいえ、そういった議論がある点も考慮しつつ、私のようなケースもどなたかのためになるかもしれませんから、慎重に自分の個人的経験をご紹介したいと思います。

ひっそり始まった私の回転性めまい

 20年以上も付き合ってきた回転性めまい。その心配をせずにこうやってパソコンに向かい、このブログを書いている幸せ。ずっと、ぶり返さずにあってほしいです。

 私が最初に回転性めまいを感じたのは、会社のエレベーターを降りようとしたときでした。20年以上前になりますね。

 目当ての階に着いて、扉が開いたはいいけれど、グラングランと大きく世界が回って、地震が来たのかと思ったらそうではなく、揺れたのは自分だけだったんです。

 「おっと!」と両手を広げてバランスを取ろうとして、ひとり注目されちゃったのを覚えています。まだその日は、軽かったですね。

 その少し前に、私は喘息発症やら骨盤腹膜炎で入院・手術を経験していました。いったん回復して復職、会社のエレベーターに乗ったのでした。

 その後、熱が下がらなくなる(不明熱→甲状腺疾患でした。また書きます)などしたので、病気療養のために長期休職→期間満了退職(涙)することになりました。

 ということで、なにしろ他の病気襲来に気を取られていて、ひっそり始まっていた回転性めまいが正確にいつからだったのか、記憶してないんですよ。他の病が治っていくにつれて顕在化してきて、いつかどこかで「メニエール病」との診断を受けました。

 昔のノートでも見つかれば、何か書いてあるかもしれませんが、熱が下がらない!暑い!とか、おなか痛い!とか、めまい以外のことしか書いてないかもしれません。

以前とは違う、治まらないめまい発作

 その後、先ほど書いた鬼門の時期を中心に、体力が落ちるといきなり回転性めまいの発作がやってきていました。

 「体力が落ちると」というのは、後から考えるとそうだった、ということなんですね。当時はわかっていませんでした。ただ、じんましんも喘息も、体調が悪ければ悪化しますので、経験上知っていることではありますよね。

 めまい発作が起きると、イソバイドやメリスロンを処方され、しばらく飲んでいるとまあまあ回復。時には救急車で運ばれて点滴を打って回復、といった対症療法でずっと過ごしてきました。

 ご存じのように、回転性めまいの発作が起きるとグルグル回って酷い船酔いに似た状態がしばらく続くので、その間、嘔吐が止まらずトイレにしがみつき、お友達になっていないといられません。

 でも、しばらく辛抱して待てば発作が治まり、メリスロンが効いてくれるので、めまいをやり過ごしてひたすら待つ。そうやってきました。

 「内耳がむくんで水ぶくれ状態だから発作が起きる」説に基づき利尿剤を飲むとか、逆に、「体内の水分が足りないから内耳付近が水分をため込もうとして水ぶくれになっているので、水を積極的に飲みましょう」的な説に基づき、とにかく水を飲むとか、自分では色々とトライしてきたつもりです。

 ただ、昨春のめまいは何か以前とは違いました。何をしても、メリスロンを指示通り飲んでも、ほぼ気休め。ちょっと低減する気もしないではないが、一向に良くならない感じがありました。

 それで「このままではまずい。聴力を失うような手術は嫌だ、でも寝たきりになってしまう」と思ったのでした。

「溺れる者は藁をもつかむ」心境

 昨年の手帳を見ると、3月3日にはひどい耳鳴りからグルグルの回転性めまい発作を起こしています。その前月に長く看病に追われていた飼い猫が死に、心身ともに落ちていたんだと思います。その半年前、看病が始まった頃から、めまいは頻発していました。

 そんな時、知人から聞いたのが「抗ウイルス薬を飲んで酷いめまいが治った人を知っている」という話でした。それも別々のふたりから。

 抗ウイルス薬で治療をしている医師が札幌にいて、わざわざ札幌まで行ってすっかり治った、という話が共通していました。どうやら同じお医者さんの話でした。

 その医師が書いた本(↑)を教えてもらい、ぜひ札幌に行こうと思ったら・・・なんと既に引退して診察をお止めになったらしいと、ネットで調べてわかりました。

 なんてことだ・・・遅かった。大ショックでした。

 それでも、同じ治療をしている先生はいないかしらとネットで探し、3件のお医者さんに当たりをつけました。

 昨年4月28日、29日の手帳には「耳鳴りが酷い、コロナ終息したら行こう」等々と書いています。そして、3件のうちのひとりに、コロナの終息を待ちきれず連絡を入れたのが6月1日。予約が取れたのは7月3日でした。

 昨年はちょうど6月19日に緊急事態宣言が明け、全国移動が解禁になっていました。

 その日、呼吸器内科の喘息を診てもらっている主治医に「新たに抗ウイルス薬でのめまい治療にトライしようと思う」と一応相談したところ、薬物アレルギーが様々に出る体質から「その場合は一晩入院して、投与して様子をみる方が良いのではないか」と注意がありました。

 喘息の主治医は本音では「なんだそれ?めまい治療にステロイドじゃなくて抗ウイルス薬?」と思ったらしいです。これは、甲状腺を診てもらっている医師の反応も同じで「聞いたことがない」という顔をしていました。

 でも、私が「もうこのままではやってられない、仕事もできない」「ずっとめまいで、メリスロンを飲んでも埒が明かない」と泣き、打開策が他にない状態だったことから、私のチャレンジを止めなかったのだろうと思います。

 私の決心は固かったですね。本当に、藁をもつかむ心境でした。

いざ、抗ウイルス薬服用スタート

 昨年7月3日、待望の「めまい外来」初診では、前々回書いたように首の異常を指摘されたのでしたが、抗ウイルス薬での治療を希望したところ、自費での治療が始まりました。

 公的保険は使えませんでした。めまいの標準治療ではないということですね。なぜ?と思いましたが、後がありませんから、やってみようと決心しました。

 コロナ禍であり、喘息の主治医が言ったようには入院できず、少量から慎重に飲むことになりました。

 翌4日の初日、バラシクロビル500mgを1錠だけ、飲みました。何も特に変化は起きず、「心配なし」と手帳にも書いています。

 そして2日目の昨年7月5日ですが・・・その日は2錠飲みました。そうしたら滅多に起きない頭痛が出来、痛くて痛くて、少しでも症状が和らがないかと水をガブガブ飲みました。でも一向に頭痛は治まらず、早めに寝ました。

 その時、左耳の中が、なぜかツーンと痛痒い感覚がありました。

 7月6日の3日目、頭痛はすっかり消えて、その日はバラシクロビル500mgを3錠飲みました。これでMAX、以後はこの1日3錠のまま続けましたが、それでも帯状疱疹治療での服薬量の半分だと聞いたように思います。

 抗アレルギー薬は毎日のことで6日も飲んでいましたが、前年に手術した左ヒザにひっかいたようなミミズバレが赤くクッキリ浮き出てきて、驚きました。

 なぜ手術した箇所に?組織が新たに再生している場所だからなんでしょうか。

 7月7日の4日目、その日も8時間おきに3錠を飲みました。「眠いが慣れてきたかな」と手帳にはメモしています。

 耳鳴りは残っていたものの、この7日までには、私を悩ませていた回転性めまいが一旦ほぼ消えていた感覚があったように思います。劇的でした。

 自覚症状では「めまいが消えた」と感じていたんですが、自分でもそれが信じられない心地でした。その後の受診時に「まだ眼振がある」と指摘され、客観的にはめまいは治っていないと知りましたが、自覚的な差は大きかったです。

 眼振については「いつ発作が起きてもおかしくない」との評価だったと思います。抗ウイルス薬治療は続行しました。

 1クール目は7月18日まで。その後、薬を減らしたり、休薬したり、抗ウイルス薬の種類を変えたりしながら、12月1日までの第8クールを終えました。

耳鳴りが残っていた

 そもそもこの抗ウイルス薬でのめまい治療を思い立ったのは、前述のようにふたりの知人にそれぞれ「治った人がいるよ」と教えてもらったからだったのですが、当事者ふたりのうちのおひとりをご紹介いただくことができ、話を伺うことができました。

 実は、その方はフワフワめまいのPPPDに今は悩んでいる、とのことでした。10年ぐらい前に札幌に治療に行って、回転性めまいは「すぐに治った」ので、喜んで帰京したのはいいけれど、実は耳鳴りは残っていたというのです。

 「耳鳴りぐらいはいいか、ってその時は思っちゃった。(そのせいでフワフワめまいに悩まされるのだったら)もう少し長く抗ウイルス薬での治療を続けるべきだったのかも」とのことでした。

 だから、私は回転性めまいはすぐに消えた自覚があったものの、耳鳴りも眼振もきっちり消えるまでは薬を続けよう、と固く思ったのでした。

 でも、前々回のブログにも書いたように、頸椎カイロプラクティックで私の場合は耳鳴りもフワフワめまいも軽減できる話だったので、抗ウイルス薬は切り上げても良かったのかもしれません。

 ただ、この回転性めまい、1度しっかりぶり返しました。しつこーい。

 2021年1月に入って、耳鳴りと「左耳の痛み」がちょこちょこと出現しては消えていたのでしたが、昨年に続きやはり3月3日、左耳痛と耳鳴りがひどくなったと思ったら、3月5日、強い回転性めまいが出現したのでした。

 治ったと思ったのに、3か月しか持ちませんでした。ショック。

 5日、昼から痛みを感じていた左耳に、夜には湿疹が出現し、7日には左耳の中から少し出血。めまい外来に再度駆け込んで、抗ウイルス薬の飲み薬と共に塗り薬もだしてもらいました。

 その後、4月半ばまで抗ウイルス薬を飲み、落ち着きました。

メニエールじゃなかった

 ここまで読んで、「あれ?めまいの話でしょ。湿疹が出るの?耳が痛いの?何の話?」と違和感をお持ちになった方もおられますよね。

 プラスして・・・どうして私は「メニエール」と書かないのか、と思った方もおいでかもしれません。そうです、私はいつだったか診断されたと書いた「メニエール」という言葉をなるべく使わず、「めまい発作」とか「回転性めまい」とか、この記事では書いてきました。

 私も、20年以上もずっと「メニエール病」だと診断された通り、信じてきました。でも、今回の抗ウイルス薬での治療を経験したのをきっかけに、メニエールではなかったことが分かったのです。

 青天の霹靂とはまさにこのこと。

 私のめまいは、「不全型」ではあるのですが、耳の帯状疱疹「ラムゼイ・ハント症候群」によるものだったらしいです。幼いころに病んだ水ぼうそうウイルスが眠っていて、体力が落ちたことを契機に活発化、聴神経がやられたことで回転性めまいが出ていたらしいです。

 そこに気づいたきっかけですが・・・昨年の7月に抗ウイルス薬を飲み始めて、めまいと一緒に、耳回りの湿疹がきれいに消えたことでした。

 この湿疹は、長年の全身いぼ(当時、原因不明でしたがこちらも関係があったのでしょうか?そういえば似てるかも)に悩んだ過去を持つ自分としたら「大したことないだろう」と気にも留めずにきた程度のものでした。

 ひどい時には喘息の主治医にゲンタシン軟膏を処方してもらって、塗って、それでまあ大事に至らないと言うか、誤魔化せる感じでした。

 額の生え際にもボツボツ並んであったのが最近は消えたなと思っていても、時期によって湿疹は出たり消えたり。完全には消えません。それが、抗ウイルス薬を飲み始めたらきれいに消えたのです。なぜ?と思いました。

 ついでに、背中の発疹も消えてきています。飲み過ぎた薬による薬疹だと子どもの頃からずっと言われ、汚い背中は諦めていたのに。

 湿疹とめまいを関連付けて考えたことが無かったので大きな驚きでしたが、もう1つ、関連して考えてこなかったことがありました。耳の痛みです。

 めまいがグルグルと酷い時に、なぜか耳が赤く腫れて痛いことがありました。でも、めまいの方で忙しいので「耳が痛いことなどはどうでもいい」と思い、「知らぬ間に蚊にでも刺されたのか」ぐらいに考えていたんです。

 3月上旬に蚊?おかしいですよね。

 まさか、めまいと関係があったとは・・・これまで、めまい治療で耳鼻科を受診してきて、発疹や耳の痛みを医師に伝えたことはありませんでした。

 関係ないでしょ、と思いますよね?めまい治療に来て、発疹や耳が痛いなど、皮膚科のお医者さんでもないし、聞かれなければ答えようとも思わないですよね?

 とにかく、ずっとメニエールだと思ってきたのでびっくりでした。「えー、ずっと耳が痛かったの?」と今回、めまい外来でもお医者さんが驚きの声を上げました。まさかハント症候群だったとは。

 原因不明ではないので、治るめまいだったわけです。

 稀な例かもしれませんが、私のような人も実はいるのではないでしょうか・・・この、ラムゼイ・ハント症候群については、また続きを書こうと思います。

<参考>ラムゼイ・ハント症候群の初期診療のポイント(アドバイザー 村上信五 名古屋市立東部医療センター 病院長/名古屋市立大学 耳鼻咽喉科 名誉教授)dn04.pdf (maruho.co.jp)