障害年金という選択肢があったのかも
ちょっと気になる記事がありました。障害年金についてです。糖尿病、うつ病、子宮筋腫も対象と見出しにあったので、なんですって?と記事を読みました。
障害年金については、最近はメンタル疾患でも対象になることは、実際にもらっている人に聞いたことがあって知っていましたが・・・し、子宮筋腫もOKだったの?そんなにイージーな訳ないよねとちょっと驚いてしまいました。
闘病が初診日から1年半以上続き、仕事を辞めたり休みがちになるなど、日常生活に支障があるなら、障害年金受給の対象となる可能性がある。「最近では手術困難な子宮筋腫で受給が決定した方もいらっしゃいました。長く付き合っていく可能性のある疾患であれば受給資格に該当し、働いていてももらえる可能性が。ソーシャルワーカーさんや家族に勧められるなどで存在を知り、手続きを思い立つこともあるようです」(上記記事から、特定社会保険労務士の漆原香奈恵さん)
・・・なるほど、イージーではないにしても、そこまで狭い範囲しかもらえないというものでもなかったのですね。ということは、私、もらえていたのでは!!!
少なくとも、会社を「療養期間満了」で退職することになってから数年は寝た切り生活だったことですし・・・退職後、傷病手当金はもらった記憶がありますね。でも、その後、寝たきりでも何も無し。障害年金は全然思いつきませんでした。
自分が該当するとは思ってもみなかったので、「対象になりますかね?」と聞いてみることも無かったです。と言っても、まずどこの誰に私は相談すれば良かったんでしょうか?
先ほどの記事にはソーシャルワーカーと書いてありましたが・・・お世話になっていた病院にもソーシャルワーカーはいたでしょう、1度ぐらいは話を聞いてみるべきでした。確か「○○情報室」という関連のありそうな場所が病院にはありましたが、闘病中は相談に出向くようなそんな元気も無くて行きませんでした。
行けば、年金等のアドバイスをいただけていたかもしれませんね。残念!
退職時は入退院を繰り返し、それから闘病20年
振り返れば退職当時、診断書に並んでいた病名はいくつもあって、しかも新しい診断書を書いていただくたびに病名が少しずつ増えていくのが不安でした。
主なものでは不明熱と診断されていた発熱が甲状腺疾患だとようやく診断がついて治療が始まり、発症したばかりだった気管支喘息もまだまだ不安定。「メニエール」と診断された回転性めまいがしょっちゅう顔を出して、腹膜炎手術後の癒着性腸閉塞でも苦しみ、まさに入退院を繰り返してしょっちゅう病院と家を行ったり来たりしていました。
不思議なことに、日曜日の夜8時頃に苦しくなってくることが多くて、家族に「どうする?病院に行く?」とよく聞かれました。NHKの大河ドラマのテーマ曲が流れる頃の時間帯で、ドラマを楽しみにしていた人間としては「大丈夫」と答えるんですが、結局どうしようもなくなって夜間に病院に連れて行ってもらうこともよくあったのでした。
おかげで、今でも「元禄繚乱」のテーマ曲を聴くと、あの頃の苦しかった頃が思い出されてしまいます。
それから、何回目かの退院をして少し経った頃、ちょうど結婚式を挙げた友人がいて、車で1時間弱の距離だからと家族に連れて行ってもらって少しだけ参加したのでしたが、式の最中、私の両隣に座った友人曰く「いつ倒れるか、気が気じゃなかった」という体たらく。あの頃は、ほんのちょっとの外出でも大ごとでした。
その後、闘病しながらも徐々に体力を回復し、一昨年、自分で「ひとり竜巻」と呼んでいた回転性めまいが耳性帯状疱疹(ハント症候群)と分かり、抗ウイルス薬治療によって全快するまでの20年間は、生活にも仕事にも、ほーんとに支障がありました。
朝起きた時に天井が回って見えるかどうか、その回り方でその日できる事が決まるのですから、毎日が賭けのよう。限られた仕事しかできませんでした。
情弱だった私、家族に申し訳ない
ちらっと障害年金の対象疾患を見たら、先ほどの記事にあった糖尿病や子宮筋腫の他、私の気管支喘息とかメニエールもありました。ちなみに、私も子宮筋腫は昔は4つできたまま、苦しくても他の病気治療が忙しくて放置状態でした。
そう考えてみると、どうなんでしょう?会社の退職が2003年、そして回転性めまいが治ったのが2020年だから、それまでの期間・・・もしかしたら障害年金の助けをいただくことができていた時期があったかもしれませんよね?
退職してから数年後に形ばかり始めたフリーランスでの活動は、健康面での不安によって大きな制約がありました。経済的におんぶにだっこの家族には申し訳なく、こんなはずはない、もっとちゃんと働きたかったのにと思ってきました。
元気になってきた今、遅まきながら挽回して家族にも楽をしてもらいたいと思って色々と手を伸ばしています。でも、この20年以上に及ぶ療養期間に、年金がもらえた時期も多少は可能性としてあったかもしれないだなんて・・・そう思うと、さらに家族に申し訳ない気持ちが湧きあがります。
だって、それって私が情弱だったから。障害年金は、もっと重篤な状態じゃないと貰えない性格のものだと思い込んでいました。ちゃんと調べれば良かったです。
もちろん、今の私は障害年金の対象にはとてもならないでしょう。そこはわかっています。まだ気管支喘息は残っていますが、色々な不具合がここ2年で急速に収束してきて、自分でも信じられないぐらい健康を回復してきています(それなのにブログのタイトルが「病気録」。どうしよう💦)。回転性めまいという、体への大きなダメージが取り除かれたせいでしょう。
現在、他人様のお話を伺う機会も無いわけではないので、もし病気で経済的にもお困りであるならば、その時に自分の失敗談をお話して、反面教師にしていただきましょう。その時までには多少勉強して、ご一緒にソーシャルワーカーや、社会保険労務士、行政相談など、適切な相談先をお探しすることに致しましょう。