胆石症発作、脂汗が出るほど痛かったけれど
新年に入って初めてのブログ。読んでくださっている方、穏やかなお正月をお迎えでしたでしょうか。この2023年は、侵略によって酷い目に遭っている方々が何とか平和な生活を取り戻せる年であってほしいですし、もちろん日本でも戦争が日常などになってほしくないと思います。
戦時下では、あちこち痛いなんて言っていられませんよね。私のようにマイナーな不調でのんびり悩んでいられるのは、平和な証拠のように思えます。
とはいえ、胆石症発作はやっぱり痛かったですね・・・前回も書いたように、デカフェコーヒーとウルソを飲み、そして胆嚢近くを狙って背中に貼るホカロンの「3種の神器」で最悪な状況にならないように誤魔化しやり過ごしておりますが、これもいつまで持つのやら。
イヤ、できれば一生誤魔化していたい。手術だけは嫌なんです。
余りにも手術が嫌なので、初の大き目胆石発作でも救急車は呼びませんでした。経験者には「かなりきつかったでしょ」と言われましたが、「まあ、痛いのは痛いけれど人生最悪の痛みではなくて、ガマンできそうだった」などと伝えたのでした。これは、ヤセガマン。
でも、痛みで脂汗をかきながら転がっているのに死ぬほどではないと思ったのは本当で、今の方が若い時よりも痛みに鈍感になっているのかも。年を取っての鈍感さは、スムーズに死ねるようにですか?なんて。
様々な体の不調をこれまで経験してきて、自分では「痛みには強い、自分は大丈夫」とどこかで信じてるんでしょうかね・・・これが本当はまずい「正常化バイアス」というものかもしれません。痛いのは慣れっこ、何しろ手術中に麻酔だって切れたことがあるんだし!というのは、少し変な自信。ちょっと間違えば死んじゃいますよ。
その発作時、またコロナの患者数も増えてきていて医療の逼迫が・・・なんて考えてしまって救急車なんて呼べない!と思ったのですが、今週は前週に比べると数が少なくなっている模様。今だったら救急車を呼んじゃうかもしれませんね。
その後、ウルソを飲んで耐えていたら痛みも徐々に引いたので、この時の判断は悪く転がらず、初の胆石症発作は何とか終わりました。
自分で救急車を呼ぶ基準は「死んじゃうかも」
コロナ禍の医療逼迫の心配があったとしても、もしこの時、昔経験した狭心症発作がまた起きてたらどうだったでしょう。狭心症発作は、私の感覚では胆石発作と似たレベルの痛みでしたけれども、絶望感は狭心症の方が強かった気がします。そうなると、医療者の皆さんゴメンナサイと思いながらも救急車は呼んでしまったでしょうね。
また、腸閉塞(癒着性イレウス)の方も、嘔吐を繰り返してどうにもならなくなって極まったら、救急車を呼んじゃいそうです。痛みのレベルではそこまででなくても「死んじゃうかも」と考えてしまうでしょう。
とはいえ、いざとなると悩むんですよね~こんなことで救急車を呼んじゃってもいいのかって。それで、超有名シェフの店で出された「季節外れの牡蠣」に大当たりした時には、自分で判断がつかないまま一晩苦しんで明け方になってから救急の相談電話「#7119」に相談しました。
この時、自分では何が悪かったのか分かっていなかったので「理由不明で30回以上吐いてお腹も下し、最後の方で吐いた内容が鮮やかなグリーンやパープルの色だった」とお伝えしたところ、先方が救急車を手配してくれたのでした。
自分では「死んじゃうかも」とは思わず、まだまだ大丈夫なつもりでいたのでしたが、実際は搬送途中で意識を失い、気づいたのは数日後。あと少しで危なかったと言われたのでした。えええ!
正常化バイアスおそるべし、やっぱり自分の感覚なんか当てにならないですね。
一番最近、実際に救急車に乗ったのはいつだったか・・・10年ぐらい前に回転性めまいでお世話になった時だと思います。
脳梗塞や脳出血などを家族が心配して呼んだのでしたが、それが否定されて「メニエール病(実はそうじゃなくて耳性帯状疱疹のめまいだったのですけれど)」と診断されて以降は、ひどい回転性めまいに襲われても、もう既に処方されたメリスロンなどでやり過ごすようになり、救急車どころか病院にもその日には行かず「通院日に相談しよう」となったのでした。
でも、抗ウイルス薬で耳性帯状疱疹の回転性めまいから解放された今となっては、再度ひどいめまいが起きたら、脳梗塞などを疑って救急車を呼ぶべきなのでしょうね。
それから、もし喘息が重積発作に陥ったら「死んじゃうかも」とやはり思うかもしれません。呼吸困難はさすがにガマンできませんから、救急車の助けを呼ぶでしょうね。
その他、救急車ではなく、家族の車で救急救命センターに連れて行ってもらった一番最近の例は、子宮けいれんで急激な腹部の痛みとまあまあな量の不正出血があり、嘔吐も下痢もつられて結構激しく起きちゃった時でした。よく吐いてますね。
あの時も、ちょっと「死」が頭を過りましたが、病院に着いて待合室で待っている間に徐々に落ち着いてしまって、バツが悪くなって「帰りたい」と家族に言って呆れられたのでした。本当に救急のお世話になるタイミングを見極めるのって難しいです。
痛みは「死んじゃうかも」とは少し違う
ついでと言っては何ですが、いきなり「死んじゃうかも」とは思わなくても、痛みで動けないとか、逆に、のたうち回ったとかーー今度は、純粋に人生での「痛かった順番」をつらつら考えてみました。思いつくところで、もう二度と経験したくない痛みのトップ5です。
⑤両足の骨折
これは小学生の時のケガです。小4が終わる春休みの初日、開発途中の造成地でお休みだったのか誰もいなかったので、友達と入り込んでキャッチボールをしていて、無理に球を取ろうとしてたぶん3~5メートルぐらい下に落ちました。落ちた瞬間、両足の甲にそれまで経験したことのない激痛が走りました。
その時には10メートルぐらい下に落ちた!と思っていたんですけど、今になって考えてみると半分以下だと思います。小学生の目算なんて適当なものです。
落ちてから、心配するキャッチボール相手になるべく平然とした顔を見せつつ、何とか理由を付けてすぐ自転車に乗って帰宅。よく自転車をこげたものです。玄関に入った途端に大泣きして、母をびっくりさせました。そのまま接骨院に直行、両足ギプスに松葉杖で姉の卒業式に出たような気がするんですよね。
その時、とにかく痛くて痛くて。鎮痛剤が効かなかったか、飲んでなかったのかもしれません。痛みのあまり眠れず、数日は泣きながら夜を明かしました。そんな経験は人生で初めてでしたから、よく覚えているのかもしれませんね。
④胆石症発作
もう前回も上でも書いた胆石症発作。こんな順番になりました。
③狭心症発作
胆石症発作とあまり変わらないレベルなので、ここに入れました。馬車馬のように働いていた会社員時代のことでした。今だったら絶対に「ブラック企業だね」と言われます。定期的に廊下の掲示板に貼り出される人事の異動のうち、「死亡退職」のみなさんの名前が並ぶのが怖かったです。
そんな毎日を送っていた時に、近所の飲み屋さんで美味しい日本酒をいただいていた時、いきなりギューッと心臓を掴まれて引き絞られるような絶望的な痛みに襲われました。短時間だったのですけれど、あれが続いたら絶対に気絶していたと思います。周囲に気づかれないように(そればっかり💦)帰宅して、「私死んじゃうかも」と思ったのでしたがその日は寝てしまい、翌朝ラッキーにも目覚めてクリニックに行きました。
その時に処方してもらったニトログリセリン、まだ捨てられなくて持っています。痛くて怖かったからでしょう。とっくに有効期限は切れていると思います。
②下腹痛(子宮内膜症・子宮腺筋症・卵巣嚢腫・子宮筋腫アリ)→骨盤腹膜炎
この痛みは、割と最近まで長ーく経験しました。あいにく閉経が遅く、ザッと40年弱ですか。最初に痛みでのたうち回ったのは高校生の時で、20代に入って徐々に痛みが増していき、「左下腹部に常時モリが突き刺さっている」と言いたいような、強い痛みになっていきました。
当時は産婦人科のお医者さん達でも子宮内膜症のつらさがあまり知られていなくて、痛みを訴える私に対して、炎症反応の数値が低いからと「子どもがつねられて痛がっているようなもの」と言った医者もいたんですよね。そのクリニック、ヤブ認定して2度と行きませんでしたね。
高熱を発したことをきっかけに受けた最初の腹腔鏡手術では、日和見感染だと言われましたが盲腸周辺の炎症が酷くて、腹腔内壁も蜂窩織炎の炎症が広がっている状態だったと聞きました。その時に、子宮内膜組織の癒着があちこち酷いと分かり、剥がしきれず、その後、開腹手術をしてみたら骨盤内の内臓がひと固まりにくっついていたそうです。
腎臓から膀胱へと続く尿管が、固くなった子宮内膜組織にしっかり取り込まれていたせいで、内臓が動いたり尿が膀胱へと流れるたびにギューッと引っ張られて痛かったらしいです。尿管、ちぎれなくて良かったです。仙骨靭帯にも内膜組織がベタベタに固まっている個所があって、そこは靭帯ごと切り取ったと執刀医から聞きました。
そして子宮の筋肉組織にも子宮内膜の組織が入り込み、ひしゃげたゴロゴロのラグビーボールみたいに子宮が変化していたとか。筋腫も4つ、卵巣も左側が5㎝ぐらいに大きくなってたりして・・・ガチガチに癒着していたせいで、茎捻転しようもなかったのは不幸中のラッキーでした。でも内膜症って恐ろしいですね。
記憶違いもあるかもしれませんが、こういった説明を手術後に執刀医から聞きながら「子宮とか卵巣とか取り除いてくれたのか、ああやっと痛みから解放される!」と期待していたら「取りませんでした。まだ妊娠する可能性もあるかと思いまして」と言われて、ホントーーーーーーーーーにガッカリしたのでした。なんで、なんで~まだこの痛みに苦しめられるのか、と。
でもまだ30代前半だったので、お医者さんの判断としては仕方なかったのでしょうね・・・でも、取ってほしかったです。痛みから解放されたかったです。
手術後は、しばらくは尿管のあたりが尿が流れるたびに切り刻まれて沁みるような痛みが酷かったです。でも、50代後半の今はひとつも痛くない。モリがここに刺さっている!と常に思っていた場所も何ともない。痛くない毎日って幸せです。
①顎の骨の壊死
栄えある痛みのワーストは、左顎の骨の壊死でした!首から上は痛くないって誰かが言っていましたけれど、ウソです。こんなに痛いことはありませんでした。頭蓋骨の中で、特大のお寺の鐘をガンガン鳴らされているような痛みになっていき、本気で狂いそうでした。
きっかけは親知らずの抜歯です。左下と右下の親知らずを抜いてから、その箇所を縫わなかった、って言っていました。こんなにポンコツの私を捕まえて、その歯医者はなぜか体力がありそうだと判断したそうで、縫うと腫れるから開放のまま(?)にしてしまったんだそうですよ。
右側は大丈夫だったのですが、左側の顎に痛みを覚えたのは翌日か翌々日ぐらいだったでしょうか・・・歯ぐきはふさがったのに、中の方が痛い。メチャクチャ痛くなっていきましたから、すぐに歯医者に行ったのですが「あ~、ふさがってますね」って感じで何もしてくれませんでした。
1度目は素直に帰って眠れない夜を過ごしたのでしたが、2度目に行った時もそのまま痛み止めだけ処方して帰そうとしたので、「そんなに簡単な痛みじゃない!」と言いました。頭の中で割れ鐘がガンゴンガンゴン鳴り響き、絶叫したいくらい。それでも、何もしてくれない。こんなに患者が苦しんでいるのにこんなことあるのか、こんな医者いるのかと思いました。
同時に、これはマズい、こんなに激痛なのに歯医者に見捨てられたと思い、心配していた家族に連絡しました。家族が知り合いの別の歯医者さんに頼み込んでくれて、すぐ受診。その歯医者さんが診て「これは大変だ」となり、速攻で大学病院を紹介され、その日のうちに口腔外科へ行ったら即手術決定でした。
学生さんたちに取り囲まれ、私の口の中に集中する視線を感じながら、たぶん助教授さんだったかがドリルで私の顎の骨を削りました。壊死して、真っ黒だったそうです。
削られているとき、ドリルのドッドッドッドという重みは感じましたが麻酔が効いて痛みが無くなって、それが本当にうれしかったですね。当時はアスピリン喘息の発症よりも5年ぐらい前だったと思うので、普通にたっぷり麻酔を使えたのでした。
急なことでベッドが空いていないと言われ、大学病院に近かった夫の実家で寝かせてもらったのですが、口腔内から切開しての手術だったのでちょっと困りましたね。一見してどこにも手術痕が無いから、普通に見えてしまって・・・山のように薬を持って帰っていなければ、べそをかいていても姑に信じてもらえなかったかもしれません。
そして左の顎の骨は、外側に紙一枚の薄さを残して口の内側から削り取ってしまったので、「しばらくはどこかにぶつけないでね」と注意されました。その後、ちゃんと従来の骨以上に太めに復活してくれて、ホッとしました。ただ、ドライソケットというのでしょうか、今も歯肉が一部深くえぐれている状態にはなってしまっています。
番外編:手術中の麻酔切れ=殿堂入りの普通じゃない痛み
この痛みについては以前のブログで書いた通りです。ただ、こんな尋常じゃない状況で経験した痛みは、普通にぶち当たるようなものでもないし、自分のせいではない意識の外での出来事。何かワーストランキングに入れるのもそぐわないような気がして番外編にしました。どうなんでしょうね。
思い返してみて、こんな順番になりました。痛い思い出は、思い返してもやっぱり痛い!あの頃の痛みが蘇ってくるようです。もう2度と経験したくない、と先ほどから書いてはいるものの、④番目のワーストに挙げた胆石症発作の片は付いていないんですよね。どうしましょう、手術は嫌だけれど痛いのも嫌、何とかなりませんか・・・💦