マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

コロナ、長かった~😢まだ倦怠感アリ

ようやく寝たり起きたり

 2024年は大変なスタートになってしまいましたね。能登半島地震の惨状に「ああ、あそこは旅行でお世話になった場所だ」「珠洲市の病院にもお世話になった」「輪島で買った塗りのお椀とお匙、うちのレギュラーになってる」と、こちらも熱にうなされながら、テレビを眺めていました。

 私が新年早々うなされていたのは、昨年末に家族がかかってしまったコロナが感染したからなんですが・・・やっぱりね、恐々看病していましたが、時間の問題でした。同居している家族ですからね、私が無事でいることはできませんでしたよ。

 気づけば1月がほぼ終了。倦怠感がまだ凄くて、思うように動けません。何かをすると疲れ果て、バッタリ数時間横になる始末。だから、あちこち掃除したくて、夢にまで見ました。

 夢の中の私は、元気にバケツを持ってベランダに出て、窓や手すりを拭いていました。体調がしっかりしたら、まずはハタキを盛大にパンパンかけて、濡れ雑巾で家内外をまるっと拭き掃除したいです。

 感染前、マスクをして消毒はしていたのですが、手袋やビニールエプロンまではしていませんでした。ビニールの合羽を着ればいいと思っていたのに、いざとなると頭から消え、そのまま直接病室に入って物を届けたりしていたのだから💦失敗でした。

 部屋の前に必要な物を置いて、直接会わずに私が居なくなってからドアを開けてピックアップしてもらう、間接的なやり取りにしたら良かったのかなと、今さらながら思います。

 今後、もしコロナに家族が感染したら、虚弱体質でポンコツ人間の私はどこか近くの宿泊施設に逃げたほうが良いねという話になりました。

また救急車で運ばれた

 さて、元日に熱が出始めてからの話です。38から39℃の間をうろうろしていると思ったら、翌日夜には急激に熱が上がったのか椅子ごとバターンと倒れ、気を失いました。

 自分では椅子に座って熱を測っていたつもりでした💦気づいたら家族は「死んじゃうの?死んじゃうの?」と耳元で大騒ぎ、「え、そんな訳ないじゃん」と思っただけだったのか口にしたのか分かりませんが、まさかの、昨年3月に続けての救急車と相成りました。

 家族がまだコロナ発症中なので、私ひとりで3次救急のK病院へと搬送されたのでしたが、検査ですぐにコロナと判明、呼吸器疾患もあってハイリスクとのことで、コロナの抗ウイルス薬・ラゲブリオを処方して貰えたのでした。

 私が小さい頃からインフルエンザの予防接種もドクターストップで受けられず、今回のコロナも主治医が「責任が持てない」と言ったので予防接種抜き、それでほぼ引きこもり生活を送ってきた(コーラス以外)という話に、K病院の看護師さんはいたく同情してくださって、心の痛みも多少癒されました。

 それに、今回また救急車で・・・と恐縮したら「呼んでいいんです、何かあったらすぐに救急車を呼んでね」と力強く言っていただけて、泣きましたね。

役に立たなかったコロナダイヤル

 落ち着いてからタクシーで帰宅、それからは自宅でバッタリ。ラゲブリオのおかげで熱は下がる方向になってきたものの、水は飲めても全く食べられない。これでは体が弱るばかりだと困りました。

 それで、3次救急の搬送先以外に他の療養先は無いものかと、自治体の24時間やっている相談ダイヤルをネットで見つけて電話。体力と時間の無駄でした。

 肩で息をしながら机につかまって一生懸命電話したのでしたが、本当に使えなくてガッカリ。「正月もやっている入院施設のある医療機関を教えてほしい」とお願いしたら、近所の明らかに入院できないクリニックを3つ紹介されたのでした。

 若手の職員が頑張ってくれた感はあったのでしたけどね・・・正月早々、時期が悪かったです。「もしもコロナになったら」というシミュレーションが崩れ去り、困ったら保健所に相談すれば大丈夫だろうとの思惑は外れ、本当に運が無かったです。

 若手職員は、長々と言い訳にしか聞こえない決まりきった説明だけは次々と読み上げるんですよ、「こちらのダイヤルでは~しかできません」みたいな。それを電話の先で、患者が倒れそうになって聞いているとの想像力は無さそうで。

 お仕事を一生懸命されたのだとは思いますけどね・・・💦誰のためのダイヤルなのか考えてほしかったですね。

栄養補助食品のゼリーとカレーで生き延びた

 入院できず、食欲がないので、水だけ飲んでいたら治るものも治らないと家族がまた心配して騒ぐので、騒がれてもどうしようもないと困りました。

 とにかく栄養補助食品の「インゼリー(これって、ウィダーインゼリーって名前じゃなかったですか?)」を防災用にまあまあ買ってあったので、それをさらに追加注文し、ラゲブリオなどの薬を飲み、これまた防災用に置いてあったレトルトカレーを食べて、徐々に徐々に回復してきました。日々をとにかく寝てやりすごし、25日間が過ぎたという感じです。

 このカレーが、カタログギフトで選んだ頂き物の帝国ホテル製だったので、とても美味しくて、飽きずに食べ続けることができました。最初は1袋を1人で食べ切れず、半分がせいぜいでしたけどね。これはまた自分で買いたいです。

 一足早く家族が回復し、私もノドの不調が残っていますが寝たり起きたりの「起きたり」の時間が増えてきています。まさにウチに取ってはコロナ災害でしたが・・・本当に震災に遭われた北陸の皆さんは、心身ともにもっとしんどい思いをされている訳ですよね。コロナ感染も被災地で増えているとのこと、心配です。

 本当に、2024年は何という年の始まりだったのでしょう。得体のしれない、恐ろしい気にもなります。先が思いやられますが、何とか1年頑張って参りましょう。