マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

祖母と同じ痛み

腰痛は、また腹腔内の炎症???

 持病の1つ、ぎっくり腰。最初に私が腰を痛めたのは、20代の頃、スキー場で上から滑ってきたスキーヤーに激突されたからでした。それ以来、ぎっくり腰を繰り返し、少し張り切ると腰が痛くなってきます。

 肩からバッグをぶら下げて歩いていると、やっぱり腰が痛くなりますし。いわゆる「腰痛持ち」だとずっと自認してきました。最近のブログでも、腰痛について少し触れていました。

toyamona.hatenadiary.jp

 このブログは先月書いています。ぎっくり腰系だと思っていた腰痛、それが、最近のは、ちょっと性格が違うものだったのかもしれません。

 これまたもう少し前の話ですが、耳下腺の腫れが長引いた時に、抗生剤のアジスロマイシンを内服し、目的の耳下腺がすっきり治ったのと同時に、ちょっと痛いなと感じていた腰痛が消えたことがありました。

 あれ?ですよね。飲んだのは鎮痛剤じゃないんですから。その時は、偶然にタイミングが合ったのかな程度に考えていました。

 でも、偶然じゃなかったとしたら。鎮痛剤でもない抗生剤が腰痛に効いたということは、そこに菌が介在しているということですよね?

 考えたくないですが、腰痛が起きるほどの炎症が、また20年前のように、腹腔内でじわじわと起きてきているってことなのかな?と、今頃になってちょっと心配になっています。

 なぜかと言うと、夏以降、腰痛が少ししつこいんです💦 腰痛対策の一環としてお風呂に入れていたにがりも、また注文してみたので効くといいなあ。

 約20年前の話をここでもまた書くと、元々は虚弱体質なのを忘れて体を酷使した結果、色々と発病したのでしたが、トップバッターの気管支喘息発症に引き続いて起きたのが骨盤腹膜炎でした。

 数年にわたって苦しみ、2回も腹部の手術をすることになったという、もう繰り返したくない話です。その時、やはり腰痛は酷かったですね。

 炎症の理由は何だったのかと担当医師に聞いたら、盲腸とか子宮内膜症とかが候補に挙がっていたのでしたが、一連の治療を終えてお医者さんが総括として言ったのは「ん~、たぶん日和見感染だったんだね」という言葉でした。

 日和見感染って・・・それまで聞いたことも無かったです。日和見という言葉はなんか簡単そうな楽そうな響きですが、全然楽ではありませんでした。もともと自分の体にいる菌が、こちらの体力が弱ったタイミングを突いてくるものらしいですよね?

 咽頭炎で高熱を出してからの喘息発症で体力を使い果たしていたあの頃。体にカビも生えたりして、「梅雨時の食パン程度の体力しかないから」と説明されて驚いたのでしたが、常在菌の皆さんとしては「このタイミングだ!」と喜んだってことなんでしょう。

 ともかく、腹腔内が全部炎症でやられたようで「臓器がひと固まり」になっていたため手術で丁寧に切り離してもらい、腹腔壁の蜂窩織炎にもなっていたので、その後もずーっと1年以上もの長期間にわたって抗生剤を飲む羽目になったのでした。

 それも、アレルギーの関係で手を変え品を変え。結局ホスミシンに落ち着いたと思ったら蕁麻疹が出るようになり、「もう飲める抗生剤があまりないよ」と嘆かれて。

 またあれを繰り返すんでしょうか。面倒くさいし嫌なんですけれどもね・・・今になってまたまた、炎症を起こした菌が活動的になってきているなら困ります。

 でも、なぜ日和見感染を起こす菌が活発になるのか、ちょっと思い当たりません。今、私はそんなに体力が無いことはなく、むしろ元気を回復してきていると思うんですよね。

 確かに、ここ1年半はめまいに悩まされてきたことはありましたけれど、おかげさまで治って来てますし。あの頃のように、甲状腺のせいだとわからないまま「不明熱」が続いているわけでもないですし。

 うーん。体力が思ったよりも落ちているとしたら、老化でしょうかね。

 典型的な受診控え💦 コロナの第6波襲来の前に、受診しようかなと思わないでもないですが・・・大して痛くない時に行ってもなあ・・・お医者さんもお忙しいのだし「ちゃんと痛い時に来てね」と言われそうですよね。

この痛みは遺伝?

 こうやって左下腹部から腰について回る鈍痛は、実は私の父方の祖母が同様にずっと悩んでいたものでした。

 幼少期、父の実家に遊びに行くと、祖母の湿布の貼り換えをお手伝いしたものです。祖母は、10㎝×20㎝ぐらいの長方形の白い布にグレーの泥パックのような湿布を塗り広げ、それを自分で貼ったり、手が届かないと、私が祖母の腰やわき腹に貼りました。

 あれは貼るとヒヤッと冷たい湿布で、祖母も「ひゃっこい」と言って、お手伝いした私に「ありがとね」と笑っていたのを思い出します。

 祖母のお腹には大きな手術痕があったのも、憶えています。下腹痛と腰痛に耐えかねて、40代で手術したことがあったと誰か親族から聞いたことがあります。癌を疑ってのことだったらしいです。

 「でも、お腹を開けてみたら何もなかったんだって」とのこと。それはつらい・・・理由が判然としなかったのは、手術まで踏み切ったのに残念だったでしょう。

 それに、祖母が40代となると、戦後10年以内の話だと思うので、きっと手術自体が大変だったでしょう。手術後は癒着もしたでしょう。生涯、ずっと痛かったのかもしれませんね。湿布が手離せなくなるはずです。

 子どもだったので、詳しい話を祖母に聞く頭もありませんでした。でも、今、私が時々鈍痛を感じる場所は、まさに祖母が痛みを感じて湿布を貼っていた場所。それに思い当たって、ちょっと驚いたのでした。

 隔世遺伝ってことでしょうか?

 そんな風に思うと、少しだけ腰痛にも耐えられるような、懐かしい気持ちになったりするのでした。