マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

姉と、2年半ぶりにランチ

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 ・・・ということで、「お題」に寄せて書いてもいい話なのでそうしてみます。

 コロナ禍のせいで、みなさんもご家族ご親族に会えない日々が続いていたかと思いますが、第6波襲来前のこの時期なら良いかなあ?と考えて、本当にしばらくぶりに姉に会ってきました。

 つい先日、姉のお友達が急死したとLINEのやり取りで知ったもので・・・グタグタしゃべるだけでも、姉の気持ちが晴れたらいいなと思い、思い切って「会わない?」と誘ったのでした。

 こうやって外で人と会うのは、最近では滅多に無いことでした。

 最後に会ったのは2019年5月だったようで、そのままコロナに突入してしまって私の持病(回転性めまい)も悪化した関係で、2年半も会っていなかったことになります。

 久しぶりだから、ちょっと美味しいものでも食べようと思い、会ったのはすき焼きが売りの和食店。TPOを考えれば、全くの普段着という訳にも行かず。小さい頃は一緒に暮らしてどんな姿も見られてきた相手なのに、少しだけよそ行きの服を選んでいる自分が何か面白かったです。

 家族とはいえ、ずっと会っていなかったこともあり、個室の掘りごたつでは正面に座らず斜めに座りました。マスク会食をこころがけていても、どうしても食べれば少しずつ話してしまうし、念のため。

 会ってみたら、姉と私はほぼ同じようなヘアスタイルで、オーダーしたランチも同じ。場所を移して、頼んだ飲み物も「あれ頼みたかったな」と私が考えるものを姉がオーダーし、「それと迷ったんだよね」と姉が言うものを私がオーダー。姉妹ってこんなものなんでしょうかね。

 そうそう、偶然に同じYouTube動画にハマっていることも分かり、大受けしました。揃って「カーメン君」のガーデンチャンネル(「カーメン君」ガーデンチャンネル - YouTube)を見て、園芸に勤しんでいたのでした。

 姉は私の体調を気遣い、回転性めまいからの抗ウイルス薬での回復に驚きつつも喜んでくれ、和やかに話ができました。急死したお友達のことを惜しむ話も、互いの仕事のことも、あれこれと。

 実は、昔は実家でのコミュニケーションは緊張感のある言葉バトルの連続でマウンティングの応酬だったことを思うと・・・こんな形で話ができるようになって本当に良かったと、ふたりで笑い合いました。

 これも、親のコミュニケーションスタイルを、ふたりで反面教師にした結果です。

 その相手を信頼しない、尊重しない攻撃的なコミュニケーション手法について「味方が誰もいなくなってしまうよ」と正面から話をして、母と衝突したことのある私は「いつから親より偉くなった? もう二度と来るな」と宣言され、会うと体力が奪われるのか持病の発作が起きるので、もうずっと会っていません。

 「母源病」というか・・・毒親に会えばそうなりますね。健康上、母とは会わないに越したことはないと割り切りました。

 そのあおりを食って、父亡き今、ひとりになった母と連絡を取って面倒見ているのはほぼ長女の姉。母は「次女(私)は下女」と言い、長女長男はかわいいと言って憚らなかった人なので、姉と弟がはっきりと攻撃されることは今のところないようだけれど、何しろ毒親気質が基本なので姉も大変そうです。

 母との最近のやり取りを聞いてみると、相変わらず相手(姉)に罪悪感を抱かせる言い回しをする母。無意識に、受動的攻撃と訳されるPA(passive-aggression)的なものを抜け目なく潜ませていて、姉は心が削られていました。

 これまでに、母には関連本をプレゼントしたり手紙を書いたり話し合いをしたり。どれも、ただ母の反発を招いただけでした。「下女」である私に言われても、聞く耳がそもそもなくてダメだったという側面もあったでしょう。

 母は今後も、周りを全て「敵」だと認定したまま、猜疑心のみで寂しく生きていくんだろうと思います。

 以前、姉と弟それぞれにそれぞれの愚痴を言った母は、結果的に姉と弟のケンカを引き起こしてしまい、大いに焦ったようでした。姉と弟、それぞれの気を引こうとしたというか、同情を買おうとした訳です。

 それ以来、姉と弟間の連絡は途切れたまま。用事があれば、姉弟は私に言ってきます。

 あの母のようなタイプには、周囲が振り回されないようによく横で意思疎通を図っておくことが大事だと支援関係で学びましたが、本当にやれやれ。言葉だけで何ですが、姉には精一杯お礼を言って、愚痴を聞きました。

 しゃべりにしゃべって4時間。それぞれ予定があったので、そこでお開きにしましたが、あっと言う間でした。こうやってしゃべりあえる姉妹がいることに感謝した1日でした。