マイナー病気録

思えば病院とは縁の切れなかった人生。こんな感じで向き合ってきました

ベストチョイスは水泳だった?

 アレルギーマーチを残念ながら順調に歩んできてしまった半世紀。今思えば、の反省は多いけれど、良かったチョイスも時々あったように思います。

 今、とってもアレルギーのお子さんが多いですよね。それだけ悩んでいる親御さんも多いでしょうね。

 私が子どもの頃だと、あまり食物アレルギーで悩んでいる人は周りを見回しても見当たらなかったので、母は「育て方が悪い」と責められたりしたんだろうなと思います。

 もちろん、育て方が悪かったわけではなくて、今思えば、本人としては抗生剤の使い過ぎが発端だったと思っているんですけれども、「気のせいなんじゃないか」「気にしすぎ」と思いたかった親も本人も、たまに禁忌の食べ物を食べ→盛大にじんましんが出て→泣く、というおバカパターンを結構くり返していました。

 今でも覚えているのは、あだ名が「イボガエル」だった小学生低学年の頃の話。全身のイボの上に、その日はじんましんが出ていました。

 そういった痒くてたまらない時、水風呂に入ると少し落ち着くんですよ。

 その水風呂に浸かりながら、様子を見に来た母に「なんできょうだいの中で私だけこんななの?どうしてこんな風に生まれたの?」と訴え、オイオイ泣いたのでした。

 母は無言で立ち去りました。傷ついたんだろうな。そして、母が立ち去ったことで、私は見捨てられたような気がして、もっと泣きました。

 たかがイボ、たかがジンマシン。別に命にかかわる大きな病気ではないのですけれども、ホウサン軟膏や亜鉛華軟膏を全身に塗りたくり、当時は代替食などはなかったので、とにかくアレルギーの原因食品を避けて食べないように努力する毎日がしんどかったです。

 特に、少食きょうだいの中でひとり食いしん坊になったのは、きょうだい達が自分の食べられない物を横で美味しそうに食べているのをよだれを垂らして見ていたからかもしれないなーなんて思いますね。

 その小学生の頃は、体質改善のために剣道を習っていました。成長するに従って体力がつけば、アレルギーから脱却できるかもしれないとの話を主治医から聞かされていました。その時に、運動をしておけば脱却のサポートになる、みたいな話だったと思います。

 それでなぜか剣道をすることになって、きょうだいと一緒に小学校の体育館に夜、通うことになったんですね。

 きょうだいはメキメキ強くなって、大学に入るまで続けていたんじゃないかと思いますが、私はダメでしたね。

 面をかぶるときにヒモでぎゅっと縛られると、それだけで頭に血が流れなくて気持ち悪くて貧血になるし、脳天をズドンと大人に叩かれるのも絶望的に痛い。小手も叩かれると痛くて痛くて、ピアノが弾けないじゃないのーと思うし、何より冬に寒かったので、足がしもやけになるんです。

 ただでさえイボとじんましんの痒みに耐えている日々なのに、しもやけもプラスされてしまうと、本当にもう・・・マイナスばかりで嫌でした。

 剣道は5年生で2級をもらったところで止めましたが、それでも運動は良かったのではないかと思います。慢性鼻炎や扁桃腺が腫れるのやじんましんが治ったりはしなかったですが、高学年になるにつれて、全身にあったイボが消えて行きました。

 まさに、成長に従って脱却していった感がありました。

 そこでさらに運動を続ければ良かったんでしょうが、中学ではピアノに没頭し、部活もブラスバンド部に入りました。吹奏楽腹式呼吸が必要だし、多少、ランニングをしたりの体作りもメニューにはありましたが、運動部の皆さんに比べたら、全然運動としては軽めだったと思います。

 ですから、中学生時代もおおむね「なんちゃって元気キャラ(実は病弱)」のままだったのですが、うれしいこともありました。

 小学生の高学年から始めていた毎週の注射(両腕に交互に打つ)、たぶん減感作療法の走りだったんだと思いますが、熱心な主治医に勧められてやっていた治療法が効いて、中学3年生でエビなどの甲殻類が食べられるようになったのです。

 第二次成長期に入っていたその機を逃さず、トライしたのが良かったんでしょうね。

 「もうエビを食べてもいいよ」と言われたのがうれしくて、病院前のお寿司屋にすぐ行って、ひと桶いっぱいにエビを握ってもらって食べました。もちろん、「そんなにいっぺんに食べる奴があるか」と次の診療で主治医には怒られました。

 このままもっと健康になりたい、エビをもっと食べたいと一念発起したのが高校時代。部活では水泳部に入りました。

 これが転機になったと思います。

 小学生時代にはまあまあ泳げた気がしたのですが、中学生では先に泳ぎ終わった友人に「がんばれー」と応援されてようやくゴールできたほど。それで、泳げるようになりたいなと水泳を選んで入部したのでしたが、もちろん甘かったです。

 他の部員は、小さい頃からスイミングクラブで泳いでいたり、中学でも部活で泳いでいたり、中にはジュニアオリンピック出場者もいました。健康志向で入部したのは私ぐらいだったのではないでしょうか。

 当然ながら、記録的には後輩にも抜かれ、伸び始めたかな?ぐらいで卒業することになったのでした。

 でも、呼吸器がとても強くなったようでした。健康を勝ち取る上では大成功でした。

 毎日泳ぎに泳いで、疲れてよく眠りました(授業中もよく寝ていました。先生ゴメンナサイ)。ピアノを続けられず止めることになってしまったのはちょっと誤算でしたが、中学生の部活で、いや小学生で始めていたらもっと良かったかな、全身イボだから無理だったか・・・と当時、深く後悔したほど良かったです。

 高校の途中からは、病院通いもなくなりました。物心ついて以来、クリニックのお医者さんを保育園の先生と間違えていたほど小児科クリニックに通っていたし、以降も内科・耳鼻咽喉科・皮膚科などの病院通いがずっと続いたのでしたが、高校で行ったのは、バタフライを泳ぎ過ぎて肩が腫れたのと足首を捻挫してお世話になった整形外科ぐらいだったと思います。

 この高校時代の水泳による貯金は、社会人になって「24時間戦えますか」の波に乗って働き過ぎてしまって早々に使い切りましたが、健康体の同期と一緒に働ける!できる!と錯覚して虚弱体質を忘れたぐらいに強力でした。

 今思えば、もうちょっと、不健康体の自覚ができてケアしていたら、細く長く、会社にもいられたのかもしれませんね。

 ということで、最近めまい発作をようやく抜けたかもしれないので、また水泳で健康になりたいと思い立ち、水着を買いました。コロナ禍が収まったら、泳ぎに行きたいですね。

 不健康に悩むみなさま、水泳はおすすめです!

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